耳塚と豊国神社(とよくにじんじゃ)石燈籠

耳塚(鼻塚)(みみづか)(京都市東山区茶屋町)

 豊臣秀吉が朝鮮に侵攻した文禄・慶長の役(1592〜1598)で、朝鮮・明の兵士の耳や鼻をそぎ、塩漬けにして日本に持ち帰ったものを葬った塚

耳塚(鼻塚)(史跡、安土桃山時代 文禄・慶長年代 1592〜1598年)

五輪塔の四面は、各輪に四門の梵字を刻んでいる。この塚は、慶長二年(1597)に築造され、施餓鬼供養が行われた

豊国神社(とよくにじんじゃ)石燈籠

 豊国神社(とよくにじんじゃ)(京都市東山区茶屋町530)

  もと別格官幣社で豊臣秀吉を祀る。唐門の両脇の石燈籠は、秀吉恩顧の諸大名が奉献した。

唐門(国宝、桃山時代)の両脇に各四基、計八基の石燈籠が並ぶ

石燈籠には、大野修理太夫治長、堀田図書頭、大角与左衛門尉、寺沢志摩守、羽柴修理太夫、伊藤石見守などの名が刻まれている

唐門から向かって右側、四基の石燈籠 (桃山時代、花崗岩、高さ 約250Cm)

竿(さお)に「謹奉寄進石燈籠、豊国大明神御宝前、慶長九年(1604)八月十七日、大野修理太夫治長」の刻銘がある

唐門から向かって右側、三基目の石燈籠

唐門から向かって右側、一基目の石燈籠 唐門から向かって右側、二基目の石燈籠 唐門から向かって右側、四基目の石燈籠

石燈籠は六角型で、頂上に宝珠・請花を載せ、笠は軒反がなく直線的、火袋はやや小さい。中台の下端と基礎上端に単弁反花、竿は全体に太い。

向かって左側の石燈籠 四基 (桃山時代、花崗岩、高さ 約250Cm)

唐門から向かって左側、四基目の石燈籠 唐門から向かって左側、三基目の石燈籠 唐門から向かって左側、二基目の石燈籠

石燈籠はいずれも、元 豊国廟に豊臣秀吉恩顧の諸大名が奉献したもの。八基のうち六基が在銘

唐門から向かって左側、一基目の石燈籠

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豊国神社唐門(国宝、桃山時代)

伏見城の遺構で、二条城から南禅寺の金地院を経て、ここに移築された。西本願寺、大徳寺の唐門とともに国宝三唐門の一つとされている

五輪塔紀年順  清普寺(せいふうじ)五輪塔(能勢頼次 墓)(江戸時代)  五輪塔-紀年順-目次

* JR・近鉄京都駅より京都市バスにて「博物館・三十三間堂前」下車 徒歩3分。

(撮影:平成22年6月24日、平成19年4月14日)