本願寺(ほんがんじ)(京都府京丹後市久美浜町1)
寺伝によれば、行基が天平二年(730)開山し、恵心僧都 源信が平安時代に中興した。
本願寺 石造笠塔婆(鎌倉時代後期 正安四年 1302年、花崗岩、高さ 338Cm)
笠塔婆は、本堂後方の北側に立っている。背の高い角柱状だが、頂部に枘(ほぞ)があり笠塔婆と知れる |
頂部の笠は欠失し枘(ほぞ)が残る。塔身最上部に、線刻蓮華座上に大きく梵字「アン」を薬研彫りする
「アン」は、胎蔵界 阿弥陀如来、普賢菩薩、金剛光の種子だが、当寺の浄土信仰から阿弥陀如来と思われる
塔身上部の刻銘:「為性圓比丘尼、頓証菩提也」 | 塔身下部の刻銘:「口安二二(四)秊孟秋、寂心敬白」 |
刻銘は、この地方の在俗出家者の寂心が、妻の性圓の為に鎌倉時代後期の正安二年(1302)に造立したと刻まれている
写真右上の最上部の文字が解読できず、年号の下に安がつき鎌倉後期以降で四年まであるのは正安年号がふさわしいと川勝先生は書かれている(日本石造美術辞典)
文字面をみると正と違うような気がするが、他に南北朝時代では応安四年(1371)、室町時代に入ってからは文安四年(1447)があるがどちらも該当せず悩ましい
笠塔婆の刻銘は正面のみで、他の三面は素面で背面は粗仕上げになっている
石塔基礎、室町時代風格狭間の内に近江文様の三茎蓮を陽刻する | ||
六字名号笠塔婆(江戸後期 天明二年 1782年) | 本願寺 勅使門(市指定文化財、伝 鎌倉時代) |
徳本上人は、江戸時代後期に念仏化道を勧めた浄土宗の僧で、独特な書体の六字名号が刻まれている。
本願寺(ほんがんじ)徳本名号碑 (江戸時代後期 文政八年 1825年)
本願寺 本堂(重要文化財、鎌倉時代後期、桁行 五間、梁間 五間、単層入母屋造、桧皮葺)
鎌倉時代初期の建久三年(1192)に法然上人が来住し、後白河法皇追福の大法会が開かれたという
久 美 浜 湾
本願寺の北に広がる久美浜湾は、ほぼ湖の形をなし汽水湖となっている
*北近畿タンゴ鉄道 宮津線「久美浜駅」下車、東方向へ徒歩 約10分。
(撮影:平成21年10月19日)