高山寺(こうざんじ)(京都市右京区梅ヶ畑栂尾町8番地)
もう一基ある宝篋印塔(南塔)と同様、我国の宝篋印塔の早期の様式を示す
高山寺(こうざんじ)宝篋印塔(重要文化財、鎌倉時代中期、花崗岩、高さ 237Cm)
塔身、縦長で重厚感がある。四面とも素面(正面:南面) | ||
高山寺開山廟域内にあり、廟に向かって左側の壇上に立っている | 塔身、縦長で重厚感がある。四面とも素面(東面) |
「高山寺縁起」に、暦仁二年(1239)、明恵上人の徳恩に報いる為、髪爪を納め、大唐育王塔の形を模し、外畑の歓喜園に塔婆を造立した。
との項目があり、その塔婆が、この宝篋印塔にあたるというのが通説になっている。しかし、川勝政太郎氏を始めとして多くの研究者が、歓喜園は
高山寺から少々離れた一ノ瀬村外畑に建てられた別庄であり、それが開山廟にあるこの宝篋印塔にあたるかは、もっとよく調べる必要があるとの
考えを示し、高山寺 近くにある同形式在銘の「為因寺(いいんじ)宝篋印塔(文永二年:1265年)」との関係を述べている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
笠
笠は二石からなり、段型は下二段、上六段で最上段は露盤、隅飾りは笠とは別の石で造られ、馬耳状
隅飾は、別石で長大な馬耳状を示し、直立する。また、わずかに切込を入れ二弧になっている |
笠
川勝氏は、隅飾りがわずかに切込を入れ二弧になっていることから、一弧の為因寺塔に比べ洗練され、
この塔が為因寺塔(文永二年:1265年)より遅れて制作されたのではないか、との疑問を呈せられている
相輪は、下から伏鉢、請花、九輪は八輪を残し、その上の請花を欠失し、宝珠を残す。この石塔は、我国の宝篋印塔の早期の様式をしめす |
基 礎
基礎は低く、上端に二段の段型をつくる
高山寺(こうざんじ) 開山廟
二基の初期宝篋印塔や如法経塔が祀られている
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*JR京都駅よりJRバスにて「栂尾」下車、徒歩約5分。
(撮影:平成19年4月28日、平成22年5月21日)