為因寺(いいんじ)宝篋印塔

 為因寺(いいんじ)(京都市右京区梅ヶ畑奥殿町46)

  高山寺に連なる形の宝篋印塔(重文)で、我国の宝篋印塔中 最も古い様式を示す

為因寺宝篋印塔(重要文化財、鎌倉時代中期 文永二年 1265年、花崗岩、高さ 210Cm)

塔身、縦長で、幅と高さの比率は高山寺塔と同様の1.11(写真:北面と正面)
石塔は、門を入って右手、小さな庭に立っている 塔身、縦長で重厚感がある。北面と南面が無地(写真:南面)

この塔は、元この付近にあった高山寺の別院の尼寺で、善妙寺のものといわれている

善妙寺は承久の乱に敗れ、明恵上人を慕って高山寺に逃れてきた公卿の未亡人を、救済収容した比丘尼寺であった

笠は二石からなり、段型は下二段、上六段で、隅飾りは笠とは別の石で造られ、馬耳状で一弧

笠の隅飾は、別石で長大な馬耳状を示し、高山寺塔のような切込はなく一弧。また、外側の線が直立した古い形を伝えている

塔身正面(西面)、「阿難塔」と刻まれている

釈尊のいとこで、十大弟子の一人、阿難(陀)(アーナンダ)を供養して建立された

アーナンダ(阿難陀)は、何度も、釈尊の養母であるマハープラジャーパティーの出家を釈尊にとりなし、初めて女性が出家する道を開いた

相輪は半ばを破損し、九輪の四輪と上部の請花を残す。鎌倉時代中期、文永二年(1265)の紀年銘を持つ、極めて貴重な宝篋印塔である

塔身、背面(東面)

刻銘:「文永二年(1265)乙丑(きのとのうし)、八月八日建之」と刻まれている

基礎の一部が欠け、相輪も破損しているがほぼ完存。高山寺の宝篋印塔と共に、我国の宝篋印塔中最も古い様式を示す

基  礎

基礎は欠失し、上端の二段の段型のみ残っている。下に、切石で作った二段の基壇がある

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為 因 寺 (いいんじ)

現在の為因寺は、阿弥陀如来を祀った本堂がある小さな寺院で訪れる人もあまりいない

この宝篋印塔を拝するだけでも価値があると思う

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*JR京都駅下車、JRバスにて高雄・栂尾方面行き「高雄学校前」下車、徒歩約2分。

(撮影:平成19年4月28日、平成22年5月21日)