金胎寺(こんたいじ)宝篋印塔

 金胎寺(こんたいじ)(京都府相楽郡和束町原山鷲峯山)

  白鳳四年(675)役行者の開創と伝える。養老六年(722)に泰澄が堂塔を造営した。以後、良弁・行基・鑑真・弘法大師 等が修行し真言密教の大道場となった。

金胎寺宝篋印塔(重要文化財、鎌倉時代後期 正安二年 1300年、花崗岩、高さ 231Cm)

塔身、月輪内に胎蔵界四仏の種子を薬研彫りする(アク:天鼓雷音)
宝篋印塔は、標高685mの鷲峯山(じゅうぶざん)山頂に立つ 塔身、月輪内に胎蔵界四仏の種子を薬研彫りする(ア:宝幢)

笠の段形は、下二段、上五段で、上の五段は珍しい。隅飾は、二弧輪郭付で内は無地 やや外傾する

塔身、月輪内に胎蔵界四仏の種子を薬研彫りする(アー:開敷華王)
塔身、月輪内に胎蔵界四仏の種子を薬研彫りする(アン:無量寿) 宝篋印塔は、装飾の少ない古調を示している

基 礎

基礎上端は二段、側面は四面とも素面で、一面に刻銘がある

基礎の刻銘:「釈迦□仏滅後二千余歳、正安二年(1300)、願主仁尊」

相輪は下から、反花を刻んだ伏鉢、請花、九輪、請花、宝珠。宝篋印塔は、鎌倉時代後期 正安二年(1300)の在銘で、相輪を含め完存する

金胎寺 宝篋印塔

石積みの上に切石三段の基壇をつくる。この場所は、泰澄法師秘蔵の鉄鉢を埋めた所と伝える

「原山バス停」を少し登ると、お茶畑が広がっている お茶畑を過ぎると、美しい杉林が道の両側に出会う

金胎寺(こんたいじ)本堂

 金胎寺は、鷲峰山(じゅうぶざん)の山頂にある。修験道の道場として知られる真言宗醍醐派別格本山

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金胎寺多宝塔(重要文化財、鎌倉時代後期 永仁六年 1298年、こけら葺、高さ 13.9m)

金胎寺といえば、伏見天皇の勅願により建立されたと伝える この鎌倉時代後期の多宝塔が有名

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*JR加茂駅下車、奈良交通バス 和束町小杉方面行きバスで「原山バス停」下車 徒歩 約90分。

(撮影:平成22年8月17日)