木津惣墓(きづそうばか)五輪塔

 木津惣墓(きづそうばか)五輪塔(京都府木津川市木津清水)

  惣墓とは、庶民個人の墓が普及する以前の共同墓地のことで、この五輪塔は、古い惣墓全体の総供養塔として造立された。

木津惣墓五輪塔(重要文化財、鎌倉時代後期 正応五年 1292年、花崗岩、高さ 367Cm)

風・空輪、近世の後補で空輪のとんがりが似合わない
木津児童館北側の道を、西方向へ歩いた 旧墓地跡に立っている 火輪、軒口厚く軒反(のきぞり)は強い

地 輪 (東面)

刻銘:「同七月十五日阿弥陀経、一万返光明真言□□、和泉木津僧衆等、廿二人同心合力、勧進五郷甲乙諸、人造立之各毎二、

季彼岸光明真言、一万返阿弥陀経、四十八巻誦之可、廻向法界衆生」                  正応五年(1292)壬申八月日

春秋の彼岸ごとに光明真言と阿弥陀経を読誦し法界衆生に回向する。伝承によれば、木津川の氾濫(はんらん)で死亡した人々の供養のために建立された。

水輪、球形で正面にのみ阿弥陀の種子「キリーク」を刻む
地輪正面(西面)、この面のみ刻銘はない 水輪の正面に阿弥陀の種子を刻み、浄土信仰による造立と知れる

地 輪 (南面)

刻銘:「永禄五年(1562)壬戌、妙林口口、道心禅門、妙心道心、十月二十七日、妙口、善通、妙口、口口、口口」

室町時代末期 永禄五年(1562)の追刻がある

惣墓とは、庶民個人の墓が普及する以前の共同墓地のことで、この五輪塔は、古い惣墓全体の総供養塔として造立された。

地 輪 (北面)

刻銘:「木津郷口口口廿坪内自、未申角木屋所一段自、藤口口未以

光明真言、本・・・・・・分、口者・・・・・時正、永仁四年(1296)八月十九日」

正応五年(1292)の造立から四年後、永仁四年(1296)の追刻がある

台 石

複弁反花座が置かれているが砂に埋もれている

 十輪寺(じゅうりんじ)笠塔婆・青面金剛板碑                    石仏と石塔-目次!

 和泉式部の墓(京都府木津川市木津殿城)

和泉式部(いずみしきぶ)墓 五輪塔(鎌倉時代前期、高さ 約130Cm)

和泉式部の墓といわれているものは全国に数多くあり、京都市中京区の「誠心院宝篋印塔」が著名

五輪塔紀年順  丹生都比売(にうつひめ)神社 五輪卒塔婆(鎌倉時代後期)  五輪塔-紀年順-目次

*JR木津駅下車、西方向へ徒歩 約10分。木津児童館西側の小広場に安置されている。

(撮影:平成19年6月3日、平成22年10月22日)