誠心院(じょうしんいん)宝篋印塔

 誠心院(せいしんいん)(京都市中京区新京極六角下る中筋町487)

  近年、「せいしんいん」と呼ばれている真言宗泉涌寺派の寺院。巨大な石塔は、「和泉式部の塔」と呼ばれている

誠心院 宝篋印塔(重要美術品、鎌倉時代後期 正和二年 1313年、花崗岩、高さ 340Cm)

塔身、西面(正面)を除いた三面は無地で何も刻まれていない
石塔は、新京極通りの繁華街に面した、寺院の北西角に立っている 基礎の上には別石で、鎌倉式の優れた複弁反花座を置く

塔身 正面(西面)

蓮華座上月輪内に大きく阿弥陀の種子「キリーク」、その下に小さく観音・勢至の種子「サ」・「サク」を刻み阿弥陀三尊とする。

向かって右下、観音菩薩の種子「サ」が摩耗して肉眼では判読しがたい。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ほとんどが密教的内容である宝篋印塔の中で、鎌倉後期の正和三年(1313)に、浄土信仰の供養塔として造立されたことは興味深い。

笠の段形は、下二段、上六段、隅飾は別石で作り三弧輪郭付で内は無地

宝篋印塔の後方に、新京極のアーケードが見える 相輪は九輪の上、請花・宝珠が後補で他は当初のもの

誠心院は、和泉式部の法名「誠心院智貞専意(じょうしんいんちていせんい)」にちなんで命名された。宝篋印塔は、式部とは直接関係がない。

基礎 背面

基礎背面に、鎌倉時代後期 正和三年(1313)の紀年銘と発願者の尼僧十二人の名が刻まれている

刻銘:「大願主 勧進僧浄心 (尼僧十一人の名前:略) 正和二年(1313)五月日」

別石で作られた、三弧輪郭付の大きな隅飾(すみかざり) 巨大な為、各部別石でつくられている京都を代表的する名塔

誠心院は、今の上京区元誓願寺小川にあり念仏道場として著名な寺院であった「誓願寺」の塔頭で、誓願寺と隣あって建っていた。天正年間(1573〜91)に

豊臣秀吉による市街整理で、現在の場所に移転している。誓願寺との関係で、塔身の阿弥陀三尊の種子や発願者の名に念仏門の名が見られるのもうなずける。

基礎・基壇

切石二段の基壇上に背の低い基礎を載せる

誠心院(せいしんいん) 本堂

前住職の頃から「せいしんいん」と呼ばれ、それ以前は「じょうしんいん」と呼ばれていた

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誠心院 表門

新京極の繁華街、お店に挟まれて表門がある

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*阪急「河原町駅」下車、北方向へ徒歩 約8分。新京極通りに面して表門がある。

(撮影:平成22年6月24日)