上醍醐(かみだいご)町石笠塔婆(3)

 上醍醐町石(かみだいごちょういし)笠塔婆(京都市伏見区醍醐醍醐山)

 上醍醐への登山口から開山堂まで、一町ごとに町石が三十七基立てられ金剛界三十七尊を表した

羯磨波羅密 廿九町 心経会衆(願主) 高さ 182Cm

鎌倉時代の形式で、笠が残っている町石笠塔婆。頂部の宝珠・請花が欠けている

法波羅密 卅一町 高さ182Cm (鎌倉時代の作で、宝珠・請花がそろい完存する。川勝 政太郎博士の書籍に掲載されている町石)

町石は正面上方に大きく梵字を刻み、その下に金剛界三十七尊名、町目、側面に願主名、制作年を刻む。但し、寛永以前の町石には、紀年名が入らない

三十一町石のすぐ近くにある上醍醐事務所

宝波羅密 卅二 法印俊誉(願主) 高さ 182Cm 金剛波羅密 卅二町 僧善順・僧利済(願主)高さ 127Cm

卅二町と刻まれた二基の町石(どちらも完存する鎌倉形式)三十町石はなく、三十二町石が二基ある。

29町石の羯磨波羅密、31町石の法波羅密、32町石の宝波羅密、もう1基の32町石 金剛波羅密で、四波羅密になり29・31・32・32町石は連続

しなければならない。4本とも鎌倉時代の町石であり、金剛波羅密の32町石の二の字が追刻かもしれず、三十町石の可能性もあるという。--

醍醐水(醍醐寺開創の理源大師が命名した)

両三十二町石の間には、醍醐寺の名前の由来である名水 醍醐水や国宝の清滝宮拝殿(次頁)が立ち並ぶ

金剛牙 十 高さ 99Cm 最初の卅二町の近くに立っている 薬師如来 僧善長(願主) 寛永十八年十月

薬師堂の前に寛永十八年(1641)の紀年名がある笠塔婆が立っている。塔身上部に大きく薬師如来の種子「バイ」、その下に薬師如来と刻む

金剛牙 十は鎌倉形式、薬師如来は寛永の作で、笠の形が違うのがよくわかる

薬師堂(国宝、平安時代後期 保安二年 1121年再建、桁行五間・梁間四間、入母屋造、桧皮葺)

須弥壇を設け薬師三尊像(国宝、平成12年に下醍醐の霊宝館に移転)を本尊として祀る

不空成就仏 卅三町 准胝堂衆(願主) 高さ 142Cm 無量寿仏 卅四町 阿闍梨□□(願主) 高さ 94Cm

両町石とも古い形のもの。三十三町石は不空成就の種子「アク」、三十四町石は阿弥陀(無量寿は阿弥陀の名号のひとつ)の種子「キリーク」を大きく刻む

金剛界三十七尊

五仏(大日・阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就)、四波羅密菩薩(金剛・宝・法・羯磨)、十六大菩薩 菩提心門(薩埵・王・愛・喜) 福徳門(宝・光・幢・咲)

知恵門(法・利・因・語) 精進門(業・護・牙・拳)、八供養菩薩 内四供養(嬉・髣・歌・舞) 外四供養(香・華・燈・塗)、四攝菩薩(鉤・索・鏁・鈴)

宝生仏 卅五町 法印権大僧都経舜(願主)高さ 138Cm 阿閦仏 卅六 寛永十八年(1641)十月 阿闍梨俊榮 高さ124Cm

三十五町石は宝生如来の種子「タラーク」、三十六町石は阿閦如来の種子「ウーン」を塔身上部に大きく刻む

不空成就(33町石)・阿弥陀如来(34町石)・宝生如来(35町石)・阿閦如来(36町石)で金剛界四仏になる

如意輪堂(重要文化財、桃山時代 慶長十一年 1606年再建、懸造、桁行五間 梁間三間、入母屋造、こけら葺)

五大堂から三十六町石を経た所にある。如意輪堂は、豊臣秀頼により再建されたもので、如意輪観音を本尊とする

大日如来 三十七町 権律師公清(願主) 寛永十八年卯月、大日如来の種子「バン」を刻む。この町石のみ基壇を設けている

最後の、三十七町石は、開山堂の向かって右脇前に立つ

寛永十八年(1641)の紀年名で宝珠・請花まで完存する唯一の町石。大日如来の下に線刻の蓮華座が入るのもこれ一基のみ

また、照りむくり(上部が上向きに反り、下方が下向きに反る)の笠の上に、鎌倉時代とは違う形(頂部が尖る)の宝珠が載る。

鎌倉時代中期の完存する町石は三基(31・32・別の32町石)で、寛永十八年作では、上記三十六町石の一基

 上醍醐清滝宮(かみだいごせいりょうぐう)石燈籠             石仏と石塔-目次!

開山堂(重要文化財、桃山時代 慶長十一年 1606年再建、桁行五間 梁間三間、入母屋造、こけら葺)

豊臣秀頼により再建されたもので、堂内に開山 理源大師を中心に、弘法大師、醍醐寺一世座主 観賢僧正の像が祀られる

(参考文献:「京都府史蹟名勝天然記念物調査報告書 第十八册」 臨川書店)

 笠塔婆(かさとうば)

*京都地下鉄「醍醐駅」下車、またはJR山科駅前・京阪山科駅前から京都バス「醍醐三宝院バス停」下車、徒歩

(撮影:平成21年1月20日)