神護寺(じんごじ)の石塔

 神護寺(じんごじ)(京都市右京区梅ヶ畑高雄町)

 高野山真言宗の別格本山。古くは、高雄寺・高雄山寺・神護国祚(こくそ)真言寺と称した。天応元年(781)和気清麻呂を奉行として建立された。

 平安時代に堂塔をほとんど焼失、文覚上人(もんがくしょうにん)が、寿永三年(1184)後白河法皇の勅を得て、源頼朝の援助をもって復興した。

文覚上人(もんがくしょうにん)墓五輪塔(鎌倉時代、花崗岩)

四隅に石の礎盤が残っているのは、覆屋があった。覆屋の頂上には石の露盤が用いられた

文覚上人(もんがくしょうにん)墓 五輪塔(鎌倉時代、花崗岩)

金堂の裏から、多宝塔の東の山道を約600m歩き山頂に出る。文覚上人墓と後深草天皇皇子、性仁法親王墓がある

神護寺 文覚上人墓 覆屋露盤(鎌倉時代後期、花崗岩、高さ 90Cm)

文覚上人墓には覆屋があり、頂上にこの石の露盤が用いられた

後深草天皇皇子、性仁法親王墓五輪塔(鎌倉時代、花崗岩)

向かって右の写真の奥に見えるのが文覚上人墓 五輪塔

大師堂(重要文化財、桃山時代、入母屋造、こけら葺)

大師堂は神護寺で、現存する最も古い建造物

  神護寺(じんごじ)下乗笠塔婆

神護寺 下乗石塔婆(鎌倉時代後期 正安元年 1299年、花崗岩、高さ 224Cm)

清滝川の朱塗りの橋を渡った所にある。笠を欠いているが正安元年(1299)の銘があり、正面上方に金剛界大日の種子を刻む

下方に「下乗」の文字を彫る。下乗石の在銘のものでは、この下乗石が最も古い

秋、神護寺の紅葉が美しい

 為因寺(いいんじ)宝篋印塔                         石仏と石塔-目次!

神護寺金堂(昭和九年 1934年 山口玄洞の寄進、七間五面、単層入母屋造、本瓦葺)

本尊は有名な国宝の薬師如来立像。ちなみに多宝塔も山口玄洞氏の寄進により、昭和九年(1934)に再建された

 笠塔婆(かさとうば)

*JR京都駅より、JRバス「山城高雄」下車、徒歩20分

(撮影:平成19年4月28日・紅葉を除く)