石清水八幡 石清水社(いわしみずしゃ)石鳥居

 石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)(京都府八幡市八幡高坊30)

  松花堂昭乗の筆で、寛永十三年(1636)八月 京都所司代 板倉重宗が寄進したと刻まれている石鳥居。

石清水八幡宮 石清水社 石鳥居 (府指定文化財、江戸時代前期 寛永十三年 1636年、花崗岩、高さ 約350Cm)

石清水社は本殿より東側に約200m下った山腹にある摂社で、その入口に立つ一般的な明神鳥居で、近世の洗練された形状を持つ

石鳥居 上部

上から笠木・島木(一石)、貫(ぬき)。笠木と島木は一石で彫出し先端は斜内に切る。

丸柱は、転び(傾斜)を持ち、基礎がなく掘立柱形式をとる。 向って右側柱、内側に三行の銘文を刻んでいる。

刻銘全文:「石清水権現宝前石鳥居」、「奉為 将軍家御祈祷所令寄進之也」、

「寛永十三年(1636)丙子、八月日 板倉侍従従四位下兼周防守源朝臣重宗」

刻銘は、石清水八幡宮の社僧で寛永三筆の一人 松花堂昭乗の筆で、最初の二行と紀年銘は草書で、三行目の板倉以下は楷書で刻まれている。

刻銘:御祈祷所令寄進之也」 刻銘:奉為 将軍家」 刻銘:「石清水権現宝前石鳥居」
二行目、上・下 (草書体) 一行目(草書体)

一・二行目 刻銘

刻銘:「石清水権現宝前石鳥居」、「奉為 将軍家御祈祷所令寄進之也」(松花堂昭乗、筆)

刻銘:周防守源朝臣重宗」 刻銘:板倉侍従従四位下兼」 刻銘:寛永十三年(1636)丙子、八月日
三行目、中・下 (楷書体) 三行目、上 (草書体)

三行目 刻銘

刻銘:「寛永十三年(1636)丙子、八月日 板倉侍従従四位下兼周防守源朝臣重宗」(松花堂昭乗、筆)

石清水社 石鳥居・背面 (府指定文化財、江戸時代前期 寛永十三年 1636年)

石清水社(いわしみずしゃ)神水社 (府指定文化財)

石清水八幡の名の起こりで、今もなお水が湧きでている。

ここにしも 湧きて出けん 石清水 神の心を くみてしらばや  (増基法師)

松花堂(しょうかどう)およびその跡(国指定史跡)

石清水社から約100m下ると松花堂昭乗(1582〜1639)が晩年に一宇の庵(松花堂)を結んだ松花堂跡に出る。

昭乗は石清水八幡宮の社僧で、高名な茶人・画家でもあり、寛永三筆の一人にも数えられた当代一流の文化人。

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石清水社(いわしみずしゃ) (府指定文化財)

石清水社 本殿は、天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)を祀っている。

 石鳥居-紀年順-目次

* 京阪電鉄「八幡市駅」下車、駅前の男山ケーブルで「男山山上駅」、石清水八幡宮本殿より東へ約200m下る。

(撮影:平成25年7月31日)