今熊野観音寺(京都市東山区泉涌寺山内町32)
泉涌寺に北隣する観音寺は、、鳥戸野(とりべの)稜に近く、鳥戸野は藤原氏一族の葬送地であった
今熊野 観音寺(いまくまのかんのんじ) 石造宝塔 北塔 (鎌倉時代後期、花崗岩)
相輪、相輪は欠失し、五輪塔の風・空輪を載せている | ||
石造宝塔は、本堂背後の墓地にあり、北塔は三基並んだ左側の塔 | 首部、縁板状の上に二段の首部をつくる |
笠
笠は降棟を刻出し、上端に露盤、軒裏に垂木型と隅木をつくる。軒は厚く、両端で力強く反る。
塔身 軸部
円筒形で、正面に文字らしきものが大きく刻まれている
北塔は、相輪と基礎を欠失するが、鎌倉時代後期の力強さを見せている。この宝塔は、藤原 長家(ながいえ)の墓と伝えられている |
今熊野 観音寺 石造宝塔 三基(鎌倉時代後期、花崗岩)
今熊野 観音寺(かんのんじ)石造宝塔三基(鎌倉時代後期、花崗岩)
中央の石工による、本格的な石造宝塔は、それぞれ慈円僧正・藤原忠通・藤原長家の墓と称せられている
今熊野 観音寺 石造三重層塔(平安時代様式、凝灰岩)
石造三重塔は、本堂の前方左側にあり、塔身に四方仏を刻んでいる。基礎正面に、対向孔雀と思われる文様を刻んでいる
泉涌寺(せんにゅうじ)(京都市東山区泉涌寺山内町27)
弘法大師を開基とする真言宗泉涌寺派大本山。皇室の御寺(みてら)として有名
泉涌寺仏殿(重要文化財、江戸時代 寛文八年 1668年再建、重層入母屋造、本瓦葺、唐様建築)
泉涌寺には、鎌倉時代の無縫塔(重要文化財)が二基ある
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*JR・京阪「東福寺駅」下車、徒歩15分
(撮影:平成19年4月14・28日、平成22年5月21日)