大徳寺(だいとくじ)(京都市北区紫野大徳寺町53)
臨済宗大徳寺派の大本山で、大燈国師妙超が鎌倉時代末期に開いた。境内は、別院二ヶ寺、塔頭二十二ヶ寺を擁する大寺院
大徳寺(だいとくじ)両面石仏(表面)(鎌倉時代中期、花崗岩、高さ 137Cm)
勅使門西側にあり、「平康頼之塔」と呼ばれている。表面は、蓮華座上に立ち、右手を垂れ左手に宝珠をもつ古式の地蔵を厚肉彫りする |
背面は、蓮華座上に安置された宝塔形を半肉彫りする
裏面は、屋根の瓦棒や相輪・相輪から屋根両端への宝鎖を細かく刻み、、塔身に釈迦如来と多宝如来の二仏並座像を刻む |
勅使門(重要文化財、安土桃山時代、切妻造、桧皮葺)
慶長年間(1596〜1614)造営の皇居南門を寛永十七年(1640)に移建したもので桃山建築をよく表現する
上品蓮台寺(じょうぽんれんだいじ)五輪塔 石仏と石塔-目次!
大徳寺 山門(重要文化財、室町後期〜桃山時代、重層、入母屋造、本瓦葺)
初層は連歌師宗長が大永六年(1526)に建立し、上層は千利休が天正十七年(1589)に完成させた。利休は、自身の木像を置き秀吉の怒りを買い自決に至った。
*京都市バス「大徳寺前バス停」下車、徒歩 約5分
(撮影:平成21年4月28日)