高野山町石(こうやさんちょういし)(和歌山県伊都郡高野町・かつらぎ町・九度山町)
九度山町の慈尊院から伽藍大塔まで180町に180基、大塔から奥の院大師廟までの36町に36基の五輪卒塔婆を立て町石とした
七十一町石(国史跡、鎌倉時代中期、花崗岩、本尊種子:栴檀香辟支仏)
左側面願文:「為武藤権少卿入道景頼」、右側面願主:「比丘尼蓮阿」
町石五輪卒塔婆は正面に五輪塔の梵字を刻み、その下に大きく本尊の種子、町目、願主名や願文を刻んでいる
三里石(鎌倉時代中期、花崗岩、地輪長 180Cm、幅 29.5Cm)、正面願主:「沙弥行佛、沙弥道禅」 | ||
右側面:「沙弥妙佛 沙弥唯蓮、沙弥専蓮 沙弥信聖」、左側面:「源氏女 沙弥定西 平氏女、沙弥覚親 藤原寶壽丸」 | ||
背面:「比丘尼妙心 沙弥道顕 法橋清範、沙弥道阿 沙弥行念 平則正」 |
里石は慈尊院側から伽藍大塔方向へ、三十六本毎に各一本、町石と同じ形のものが、計四本建っている
七十二町石(大正二年 1913年、本尊種子:多摩羅香辟支仏) | 七十三町石(鎌倉中期 頭部大正2年後補、種子:大目犍蓮) | |
左面:「文永七年二月 日」、背面:「大正二年立秋再建 伊豫 合田 | 正面:「比丘尼妙然」、左面:「藤原氏女」、右面:「紀氏女」 |
高野山町石は弘法大師空海が登山者の道しるべとして、弘仁七年(816)に木製の卒塔婆を建立したと伝えられ、鎌倉時代中期の文永二年(1265)に
覚きょう上人が発願して石造卒塔婆に立て替えられた。20年後の弘安8年(1285)に落慶法要が行われている。桃山・江戸・大正時代に改補修したものもある
七十四町石(国史跡、鎌倉時代中期 文永五年 1268年、花崗岩、総高 220Cm 幅 30Cm、本尊の種子:須菩提) | ||
左側面願主:「宮内権大輔 大江朝臣時秀」、右面紀年銘:「文永五年二月 日」 |
七十五町石と高野山 町石道(ちょういしみち)
七十五町石(国史跡、鎌倉時代中期、花崗岩、総高 251Cm 幅 30Cm、本尊種子:迦葉波)
七十五町石 | 七十六町石(鎌倉時代中期、本尊種子:舎利弗) | |
左側面刻銘:「宮内権大輔 大江朝臣時秀」 | 右側面願主:「刑部少輔 平朝臣時基」 |
町石は花崗岩製で、一石で彫成され、大きさは 高さ 267Cmで30Cm角(一尺)を標準としている
七十七町石(国史跡、鎌倉時代中期 文永五年 1268年、頭部大正二年後補、花崗岩、本尊種子:如来喜)
正面願主:「源朝臣家時」、右側面:「文永五年閏正月日」
七十八町石(鎌倉時代中期、本尊種子:如来捨) | 七十九町石(鎌倉時代中期、本尊種子:白傘蓋仏頂) | |
正面願主:「沙弥宗祐」、総高 251Cm 幅 30Cm | 正面願主:「沙弥心蓮」、総高 256Cm 幅 30.5Cm |
高野山町石五輪卒塔婆、81~90町石(慈尊院側) 町石目次 石仏と石塔-目次!
八十町石(鎌倉時代中期、本尊種子:勝仏頂)、正面願主:「榎本光義」、総高 269Cm 幅 29Cm |
(参考文献:「高野山町石の研究」 愛甲昇寛 著、密教文化研究所 他)
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*南海電鉄 極楽橋よりケーブル「高野山駅」下車、南海バス「大門バス停」下車 徒歩。又は南海電鉄「九度山駅」下車、北西へ 徒歩1.5Kmの慈尊院から町石道を歩く
(撮影:平成21年3月26日)