高野山町石(ちょういし)五輪卒塔婆

 高野山町石(こうやさんちょういし)(和歌山県伊都郡高野町・かつらぎ町・九度山町)

 九度山町の慈尊院から伽藍大塔まで180町に180基、大塔から奥の院大師廟までの36町に36基の五輪卒塔婆を立て町石とした

51〜60町石(伽藍大塔〜慈尊院)

  慈尊院側(九度山慈尊院から大塔まで180町に180基の町石が立つ。町石は胎蔵界百八十尊を表し、すべて国史跡)

五十一町石(国史跡、鎌倉時代中期、花崗岩、本尊種子:持金剛利菩薩)

正面 願主刻銘:「沙弥行願」、総高 250Cm 根部 75Cm 正面幅 30Cm

町石五輪卒塔婆は正面に五輪塔の梵字を刻み、その下に大きく本尊の種子、町目、願主名や願文を刻んでいる

五十二町石(鎌倉中期、本尊の種子:金剛牢持菩薩) 五十三 町石(鎌倉中期、本尊の種子:金剛牙菩薩)
正面願主:「前對馬守源氏信」、頭部後補、地輪長 205Cm 正面願主:「前對馬守源氏信」

新・旧二基の五十三町石

向かって左側の町石は、当初のものが不明になっていた為、昭和35年(1960)に建造された。その後、平成10年(1998)に当初のものが発見され、修復後 建てられた

五十三町石(昭和三十五年 1960年、本尊種子:金剛牙菩薩) 五十四町石(鎌倉時代中期、本尊種子:離戯論菩薩)
右側面願主:「前對馬守源氏信」、左面:「昭和卅五年秋 福田海」 正面願主:「沙弥親元」、地輪長 205Cm 幅 32Cm

町石は花崗岩製で、一石で彫成され、大きさは 高さ 267Cmで30Cm角(一尺)を標準としている

五十五町石(鎌倉時代中期、本尊種子:持妙金剛菩薩) 五十六町石(鎌倉時代中期、本尊種子:不動明王)
正面願主:「沙弥真性」、右側面:「右衛門尉成時」 正面:「源氏女」頭部大正2年後補、地輪長 170Cm 幅 31Cm

高野山町石は弘法大師空海が登山者の道しるべとして、弘仁七年(816)に木製の卒塔婆を建立したと伝えられ、鎌倉時代中期の文永二年(1265)に

覚きょう上人が発願して石造卒塔婆に立て替えられた。20年後の弘安8年(1285)に落慶法要が行われている。桃山・江戸・大正時代に改補修したものもある

五十七町石(鎌倉中期、本尊の種子:降三世明王) 五十八町石(鎌倉中期、本尊種子:般若波羅密菩薩)
正面願主:「比丘尼聖阿」 正面願主:「僧定弁」、右面:「比丘尼聖恵、伯資継、比丘尼妙観」
左面:「比丘尼静阿」、右面:「比丘尼行忍」 左側面:「大原野神主伯国房、僧真往」

五十九町石(国史跡、鎌倉時代中期、花崗岩、地輪高 196Cm、本尊種子:大威徳明王)

左面:「僧観尊比丘尼浄妙、僧慈尊」、正面 願主刻銘:「實相院僧衆」、右面:「沙弥能念」

 高野山町石五輪卒塔婆、61〜70町石(慈尊院側)      町石目次    石仏と石塔-目次!

六十町石(鎌倉中期 文永七年 1270年、本尊種子:「勝三世明王)、正面願主:「阿闍梨寛□」、左面:「文永七年八月一日」

九度山町 慈尊院からの道は「高野山町石道(こうやさんちょういしみち)」と呼ばれ高野山への表参道であった

                                            (参考文献:「高野山町石の研究」 愛甲昇寛 著、密教文化研究所 他)

五輪塔紀年順  高野山 141町石五輪卒塔婆(慈尊院側)(鎌倉中期)  五輪塔-紀年順-目次

*南海電鉄 極楽橋よりケーブル「高野山駅」下車、南海バス「大門バス停」下車 徒歩。又は南海電鉄「九度山駅」下車、北西へ 徒歩1.5Kmの慈尊院から町石道を歩く

(撮影:平成21年3月26日、平成21年4月23日)