高野山町石(こうやさんちょういし)(和歌山県伊都郡高野町・かつらぎ町・九度山町)
九度山町の慈尊院から伽藍大塔まで180町に180基、大塔から奥の院大師廟までの36町に36基の五輪卒塔婆を立て町石とした
百四十一町石(国史跡、文永八年 1271年、花崗岩、本尊種子:一髻羅刹)
このあたりは、山腹を掘りこんで町石道をつくっている
百四十一町石(鎌倉中期 文永八年 1271年) | 百四十二 町石(大正二年、本尊種子:十一面観自在菩薩) | |
左面:「文永八年四月廿五日」、右面:「為和泉守藤原祐能」 | 背面:「大正二年立秋再建 京都 大辻」、右面:「當山三寶院良珍」 |
町石五輪卒塔婆は正面に五輪塔の梵字を刻み、その下に大きく本尊の種子、町目、願主名や願文を刻んでいる
百四十三町石(国史跡、鎌倉時代中期 、花崗岩、本尊種子:金剛明王)
正面願主:「沙弥行覚」
百四十四町石(鎌倉中期 頭部大正2年、種子:金剛将菩薩) | 一里石(鎌倉時代中期、花崗岩) | |
左面願文:「為戈切衆生皆成佛道、浄仏圓寂阿寂」 | 正面願主:「沙弥覚仏、沙弥覚慈」」 | |
正面:「宝壽院住」、右面:「順圓、了性」、地輪長 195Cm | 左面:「藤原高行」、右面:「為忠□出離得脱」 |
里石は慈尊院側から伽藍大塔方向へ、三十六本毎に各一本、町石と同じ形のものが、計四本建っている
百四十五町石(国史跡、鎌倉時代中期 頭部大正2年後補、花崗岩、地輪長 190Cm、本尊種子:金剛軍茶利)
正面願主:「沙弥慈阿」 左側面刻銘:「秋葉平六入道」
百四十六町石(鎌倉中期 文永十年 1273年、種子:不空金剛) | 百四十七町石(鎌倉時代中期、本尊の種子:地蔵菩薩) | |
左側面:「文永十年(1273)三月日法印房宣□」 | 正面:「沙弥道賢」 | |
右側面願文:「奉為前大僧正圓實」 | 地輪長 180Cm 幅 30.5Cm |
高野山町石は弘法大師空海が登山者の道しるべとして、弘仁七年(816)に木製の卒塔婆を建立したと伝えられ、鎌倉時代中期の文永二年(1265)に
覚きょう上人が発願して石造卒塔婆に立て替えられた。20年後の弘安8年(1285)に落慶法要が行われている。桃山・江戸・大正時代に改補修したものもある
百四十八町石(国史跡、鎌倉時代中期 文永九年 1272年、花崗岩、本尊種子:宝印手菩薩)
左面:「文永九年(1272)二月 日」 右側面願主:「藤原朝臣俊盛」
百四十九町石(鎌倉時代中期、本尊の種子:宝光菩薩) | 百四十九町石 (大正二年 1913年、本尊の種子:宝光菩薩) | |
正面願主:「沙弥定圓」 | 背面:「大正二年立秋再建 京都 福井 岡山 佐野」、右面:「沙弥定圓」 |
町石は花崗岩製で、鎌倉時代のものは一石で彫成され、大きさは 高さ 267Cmで30Cm角(一尺)を標準としている
百四十九町石は、新・旧 町石が並んで立っている
高野山町石五輪卒塔婆、151〜160町石(慈尊院側) 町石目次 石仏と石塔-目次!
百五十町石折損残欠 (鎌倉中期、本尊の種子:堅固深心菩薩) | 百五十町石(大正二年 1913年、本尊の種子:堅固深心菩薩) | |
正面願主:「三善為忠」、折れているが、文字の格調が高い | 左面:「大正二年立秋再建 大阪 伊興田 岡山 富山」、右面:「三善為忠」 |
(参考文献:「高野山町石の研究」 愛甲昇寛 著、密教文化研究所 他)
五輪塔紀年順 | 高野山 89町石五輪卒塔婆(慈尊院側)(鎌倉中期) | 五輪塔-紀年順-目次 |
*南海電鉄「九度山駅」下車、北西へ 徒歩1.5Kmの慈尊院から町石道を歩く
(撮影:平成20年10月7日、平成21年4月24日))