高野山町石(ちょういし)五輪卒塔婆

 高野山町石(こうやさんちょういし)(和歌山県伊都郡高野町・かつらぎ町・九度山町)

 九度山町の慈尊院から伽藍大塔まで180町に180基、大塔から奥の院大師廟までの36町に36基の五輪卒塔婆を立て町石とした

161〜170町石(伽藍大塔〜慈尊院)

  慈尊院側(九度山慈尊院から大塔まで180町に180基の町石が立つ。町石は胎蔵界百八十尊を表し、すべて国史跡)

百六十一町石(国史跡、鎌倉時代中期 文永三年 1266年、花崗岩、地輪長 130Cm、本尊の種子:鼓天)

左:「為大塔勧進主人良印也」、右側面:「文永三年十月四日圓霊時」、背面:「四町二十町」

百六十一町石(鎌倉中期 文永三年 1266年) 百六十二町石(鎌倉時代中期、本尊の種子:梵天)
慈尊院側180基の町石で、最古・唯一の文永三年(1266)の作品 正面:「十方檀那」、地輪長 130Cm 幅 31.5Cm

高野山町石は弘法大師空海が登山者の道しるべとして、弘仁七年(816)に木製の卒塔婆を建立したと伝えられ、鎌倉時代中期の文永二年(1265)に

覚きょう上人が発願して石造卒塔婆に立て替えられた。20年後の弘安8年(1285)に落慶法要が行われている。桃山・江戸・大正時代に改補修したものもある

百六十三町石(国史跡、鎌倉時代中期 文永八年 1271年、花崗岩、地輪長 242Cm 幅 31Cm、本尊の種子:火天)
左面:「文永八年正月 日」、正面:「金剛佛子弁海」、右面:「為検校真弁並二親法界衆生」

町石五輪卒塔婆は正面に五輪塔の梵字を刻み、その下に大きく本尊の種子、町目、願主名や願文を刻んでいる

百六十四町石(国史跡、鎌倉時代中期 、花崗岩、地輪長 178Cm 幅 32Cm)

左面願主:「肥田□□右衛門入道増善」、右面:「為二親祖父祖母法界衆生」

このあたり一帯は、柿畑が続き、収穫を電動で運搬するレールが敷かれている

百六十五町石(鎌倉時代中期、本尊種子:広目天王) 百六十六町石(鎌倉時代中期、本尊種子:増長天王)
左面:「沙門清潤」、正面願主:「阿闍梨興實」 左面:「沙弥蓮覚」、正面:「比丘尼法如、比丘尼妙因」
総高 236Cm 正面幅 30Cm 地輪長 162Cm 背面:「比丘尼妙因、比丘尼法如」、右面:「比丘尼心阿、沙弥圓仏」

町石は花崗岩製で、鎌倉時代のものは一石で彫成され、大きさは 高さ 267Cmで30Cm角(一尺)を標準としている

百六十七町石(国史跡、鎌倉時代中期 文永七年 1270年、花崗岩、総高 221Cm)

左面:「文永七年十一月十五日」、正面願主:「阿闍梨能瑞瑛」、右面:「為則一切衆生也」

百六十八町石(鎌倉中期、総高 249Cm、本尊種子:楽天) 百六十九町石(鎌倉中期、総高 259Cm、本尊種子:大自在天)
正面願主:「比丘尼正智」 左面:「坂上氏女 左兵衛蔵人 坂上時澄、三善氏女 坂上宗澄」
背面:「廿五町比丘尼正智」、総高 249Cm 幅 32.5Cm 右面:「比丘尼観音 山籠延澄 良龍、比丘尼西方 恵信」

 高野山町石五輪卒塔婆、171〜180町石(慈尊院側)      町石目次    石仏と石塔-目次!

百七十町石(国史跡、鎌倉時代中期、花崗岩、総高 218Cm、本尊種子:日天)

左面:「沙弥西願」、正面:「左衛門尉大江為氏」、背面:「廿六町左衛門尉大江為氏」、右面:「為考妣證果也」

                                            (参考文献:「高野山町石の研究」 愛甲昇寛 著、密教文化研究所 他)

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*南海電鉄「九度山駅」下車、北西へ 徒歩1.5Kmの慈尊院から町石道を歩く

(撮影:平成20年10月7日、平成21年4月24日)