高野山町石(ちょういし)五輪卒塔婆

 高野山町石(こうやさんちょういし)(和歌山県伊都郡高野町・かつらぎ町・九度山町)

 九度山町の慈尊院から伽藍大塔まで180町に180基、大塔から奥の院大師廟までの36町に36基の五輪卒塔婆を立て町石とした

131~140町石(伽藍大塔~慈尊院)

  慈尊院側(九度山慈尊院から大塔まで180町に180基の町石が立つ。町石は胎蔵界百八十尊を表し、すべて国史跡)

百三十一町石(国史跡、大正二年 1913年、総高 230Cm、花崗岩、本尊種子:不空鈎観自在菩薩)

背面:「大正二年立秋再建福田海 大阪 打田」、右側面:備前児嶋 庵谷」

百三十二町石(鎌倉中期 文永七年 1270年 頭部大正2年後補 百三十三町石(鎌倉中期 文永四年 1267年、種子:無垢逝菩薩)
本尊の種子:千手千眼観自在菩薩)、総高267Cm 左面:「文永四年十一月 日」、正面:「菩薩戒尼真行」
左面:「文永七年九月廿五日」正面願主:「平朝臣盛房」 右面願文:「為二品征夷将軍三品羽林室家」、総高 270Cm

百三十四町石(国史跡、鎌倉時代中期 文永四年 1267年、総高 258Cm、花崗岩、本尊種子:蘇婆呼菩薩)

左面:「文永四年十一月 日」、正面:「菩薩戒尼真行」、右面:「為先妣帰依阿弥陀佛」

百三十五町石(鎌倉中期 文永八年 1271年、種子:金剛針菩薩) 百三十六町石(鎌倉中期 文永六年、種子:蘇悉地迦羅菩薩)
左面:「左衛門尉藤原秀村」、右面:「文永八秊十一月 日」 正面:「比丘尼寶道」、右面:「文永六年(1269年)八月 日」

町石五輪卒塔婆は正面に五輪塔の梵字を刻み、その下に大きく本尊の種子、町目、願主名や願文を刻んでいる

教良寺(きょうらじ)板碑 (鎌倉中期 建治二年 1276年、花崗岩、高さ 257.5Cm) (和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野)
左面:「天野路 法眼泰勝」、正面:「奉為大僧正聖基」、右面:「建治二年(1276)十一月 日」

法眼泰勝が鎌倉時代中期に造立した碑伝形式の板碑で、正面上部に大日如来の種子:「バン」を薬研彫りする。

板碑は、高野山町石道の六本杉(天野峠)に建ち、高野山側に少し行った所に136町石がある

百三十七町石(大正二年 1913年、花崗岩、本尊の種子:曼荼羅菩薩)

背面:「大正二年立秋再建 福田海」右面「京都 山下」

町石は花崗岩製で、一石で彫成され、大きさは 高さ 267Cmで30Cm角(一尺)を標準としている

百三十八町石(大正二年 1913年、種子:一百八臂金剛蔵王菩薩) 百三十九町石(鎌倉中期 文永八年、種子:不空供養菩薩)
背面:「大正二年立秋再建 兵庫 古川」 左面:「文永八年(1271年)九月廿日」、正面:「平朝臣頼康」

高野山町石は弘法大師空海が登山者の道しるべとして、弘仁七年(816)に木製の卒塔婆を建立したと伝えられ、鎌倉時代中期の文永二年(1265)に

覚きょう上人が発願して石造卒塔婆に立て替えられた。20年後の弘安8年(1285)に落慶法要が行われている。桃山・江戸・大正時代に改補修したものもある

 高野山町石五輪卒塔婆、141~150町石(慈尊院側)      町石目次    石仏と石塔-目次!

百四十町石(大正二年 1913年、本尊の種子:孔雀王母菩薩)

背面:「大正二年立秋再建 大阪 中西」、右面:「比丘尼如蓮 比丘尼圓如」

                                            (参考文献:「高野山町石の研究」 愛甲昇寛 著、密教文化研究所 他)

五輪塔紀年順  高野山 20町石(奥院側)五輪卒塔婆(鎌倉時代中期)  五輪塔-紀年順-目次

*南海電鉄「九度山駅」下車、北西へ 徒歩1.5Kmの慈尊院から町石道を歩く

(撮影:平成20年10月7日、平成21年4月24日))