高野山町石(ちょういし)五輪卒塔婆

 高野山町石(こうやさんちょういし)(和歌山県伊都郡高野町・かつらぎ町・九度山町)

 九度山町の慈尊院から伽藍大塔まで180町に180基、大塔から奥の院大師廟までの36町に36基の五輪卒塔婆を立て町石とした

  奥の院 側(大塔から奥の院大師廟まで36町に36基の町石は金剛界三十七尊を表す)  奥院側町石 詳細目次

高野山二十町石(国史跡、鎌倉時代中期 文永四年 1267年、花崗岩)

二十町石は初期の建立で、正面に「二十町」の町数と「検行法橋覚伝」の造立者、向かって右側に「為四恩法界平等利益」左側に「文永四年九月廿一日」と刻む

八町石(金剛界種子) 十七町石(金剛界種子)

町石五輪卒塔婆は正面に五輪塔の梵字を刻み、その下に大きく本尊の種子、町目、願主名や願文を刻んでいる

九町石(金剛界種子) 十町石(金剛界種子)

高野山町石は弘法大師空海が登山者の道しるべとして、弘仁七年(816)に木製の卒塔婆を建立したと伝えられ、鎌倉時代中期の文永二年(1265)に

覚きょう上人が発願して石造卒塔婆に立て替えられた。20年後の弘安8年(1285)に落慶法要が行われている。桃山・江戸・大正時代に改補修したものもある

三十二町石(金剛界種子) 二十六町石(金剛界種子)

町石は花崗岩製で、大きさは 高さ 267Cmで30Cm角(一尺)を標準としている

  慈尊院側(九度山慈尊院から大塔まで180町に180基の町石は胎蔵界百八十尊を表す)  慈尊院側町石 詳細目次

三町石(胎蔵界種子) 四町石(胎蔵界種子)

三町石は折損したものをつないで修復いていた

 高野山 奥の院休憩所五輪塔(正中二年銘)                 石仏と石塔-目次!

十町石(胎蔵界種子) 六町石(胎蔵界種子)

大門の裏側にある六町石は、江戸時代中期の安永二年(1772)の銘がある再興されたもの

九度山町 慈尊院からの道は「高野山町石道(こうやさんちょういしみち)」と呼ばれ高野山への表参道であった

五輪塔紀年順  高野山 25・26町石五輪卒塔婆(慈尊院側)(鎌倉中期)  五輪塔-紀年順-目次

*南海電鉄 極楽橋よりケーブル「高野山駅」下車、南海バス乗車 他

(撮影:平成20年5月6日)