高野山町石(ちょういし)五輪卒塔婆

 高野山町石(こうやさんちょういし)(和歌山県伊都郡高野町・かつらぎ町・九度山町)

 九度山町の慈尊院から伽藍大塔まで180町に180基、大塔から奥の院大師廟までの36町に36基の五輪卒塔婆を立て町石とした

121~130町石(伽藍大塔~慈尊院)

  慈尊院側(九度山慈尊院から大塔まで180町に180基の町石が立つ。町石は胎蔵界百八十尊を表し、すべて国史跡)

百二十一町石(国史跡、鎌倉時代中期、花崗岩、本尊種子:精進波羅密菩薩)

正面 願主刻銘:「十方施主」、総高 244Cm 正面幅 31Cm

百二十二町石(鎌倉中期、本尊の種子:禅那波羅密菩薩) 百二十三 町石(鎌倉中期、本尊の種子:慧波波羅密菩薩)
正面願主:「十方施主」、地輪長 167Cm 幅 31Cm 正面願主:「十方檀那」、地輪長 190Cm 幅31Cm

町石五輪卒塔婆は正面に五輪塔の梵字を刻み、その下に大きく本尊の種子、町目、願主名や願文を刻んでいる

百二十四町石(国史跡、鎌倉時代中期、花崗岩、地輪高 196Cm、本尊種子:方便波羅密菩薩)

正面 願主刻銘:「大中臣清義」、総高 240Cm 正面幅 33Cm

百二十五町石(鎌倉時代中期、本尊の種子:願波羅密菩薩) 百二十六町石(鎌倉時代中期、本尊種子:力波羅密菩薩)
正面願主:「十方施主」、総高 259Cm 正面幅 31Cm 正面願主:「沙弥印阿、沙弥定仏」、総高 240Cm

町石は花崗岩製で、一石で彫成され、大きさは 高さ 267Cmで30Cm角(一尺)を標準としている

百二十七町石(鎌倉時代中期、本尊種子:智波羅密菩薩) 百二十八町石(鎌倉時代中期、本尊種子:共発意転輪菩薩)
左面:「左衛門尉藤原景俊」、右側面:「勘解由判官三善康有」 正面:「沙弥行佛、比丘尼運妙」左面:「藤原氏女」

高野山町石は弘法大師空海が登山者の道しるべとして、弘仁七年(816)に木製の卒塔婆を建立したと伝えられ、鎌倉時代中期の文永二年(1265)に

覚きょう上人が発願して石造卒塔婆に立て替えられた。20年後の弘安8年(1285)に落慶法要が行われている。桃山・江戸・大正時代に改補修したものもある

 高野山町石五輪卒塔婆、131~140町石(慈尊院側)      町石目次    石仏と石塔-目次!

百二十九町石(鎌倉時代中期、本尊の種子:生念処菩薩) 百三十町石(鎌倉中期 文永九年、種子:忿怒鉤観自在菩薩)
左面願主:「左衛門尉平為綱」、総高 270Cm 幅 30Cm 左面:「文永九秊(1272)五月 日」、右面:「左衛門尉平頼総」

                                            (参考文献:「高野山町石の研究」 愛甲昇寛 著、密教文化研究所 他)

五輪塔紀年順  高野山 106町石五輪卒塔婆(慈尊院側)(鎌倉中期)  五輪塔-紀年順-目次

*南海電鉄 極楽橋よりケーブル「高野山駅」下車、南海バス「大門バス停」下車 徒歩。又は南海電鉄「九度山駅」下車、北西へ 徒歩1.5Kmの慈尊院から町石道を歩く

(撮影:平成20年10月7日、平成21年3月26日、平成21年4月24日))