西名(にしみょう)宝篋印塔(兵庫県神戸市垂水区名谷町押戸310)
宝篋印塔は、南北朝時代後期 康暦二年(1380)の在銘で完存する。近くの田から出土したもので、今は若宮神社の石段横に安置されている
西名宝篋印塔(県指定文化財、南北朝時代 康暦二年 1380年、花崗岩、高さ 約175Cm)
塔身、蓮華座上月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(ウーン:阿閦如来) | ||
石塔は、若宮神社へ登る石段の中ほど、覆屋の中に安置される | 塔身、蓮華座上月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(タラーク:宝生如来) |
笠
笠の段型は、下二段、上六段、隅飾は二弧輪郭つきで、内は無地
塔身、蓮華座上月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(キリーク:阿弥陀) | ||
塔身、蓮華座上月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(アク:不空成就) | 宝篋印塔は、切石の基壇上に、美しい姿で立っている |
基 礎
上端は複弁反花、側面は四面とも、輪郭を巻き内に格狭間をつくる。正面の格狭間内には、開蓮華文様を陽刻する
基礎正面、幅の広い束の左右に刻銘があり、南北朝時代 康暦二年(1380)に造立されたことがわかる
刻銘:「康暦庚申(1380)」「大呂初八」
康暦の年号は三年しかなく、康暦二年が庚申の干支にあたる。また、大呂は中国流の十二月で、初八は八日のこと
よく整った相輪は、下から 伏鉢、複弁の請花、九輪、単弁請花、宝珠。宝篋印塔は完存し、南北朝時代の在銘塔として貴重である |
宝篋印塔が納められている覆屋
西名谷(にしみょうだに)五輪塔(兵庫県神戸市垂水区名谷町608)
地元では、「ドロクッサン」と呼んでいる五輪塔。「道禄神さん(どうろくじさん)」という道路の安全を祈願した道祖神の名からきているという
西名谷(にしみょうだに)五輪塔(ドロクッサン) (花崗岩、高さ 151Cm)
正面の各輪にのみ、五輪塔四門の梵字(発心門)「キャ・カ・ラ・バ・ア」を刻む
風・空輪はやや大きく、火輪(笠)はやや小振りで軒口薄く両端で反る。水輪は肩の張った壺型、地輪はやや背が高い。鎌倉末期から南北朝時代の作品と思われる
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*JR・山陽電車 垂水駅下車、山陽電鉄バス「垂水東口バス停」から名谷駅・または学園都市駅前行きに乗車。西名宝篋印塔は「掘割バス停」下車、北方向へ約300m。五輪塔は、宝篋印塔から約600m北方(西名谷バス停の南側、旧道沿い民家の間)に立っている。場所は、神戸市教育委員会 文化財課の前田さんにお聞きして、行くことができた。感謝!。
*参考文献:「兵庫県文化財調査報告書」兵庫県教育委員会、神戸市文化財調査報告書 10 「神戸の石造美術」 川辺賢武 著 神戸市教育委員会。
(撮影:平成22年5月27日)