西方寺(さいほうじ)石造宝塔

 西方寺跡(さいほうじあと)(兵庫県赤穂郡上郡町船坂字西方寺上)

   相輪の一部を欠く以外は完存する宝塔で、貴重な鎌倉時代後期 永仁六年(1298)の在銘。五輪塔二基とともに美しい姿をみせている。

西方寺(さいほうじ)石造宝塔 (県指定文化財、鎌倉時代後期 永仁六年 1298年、花崗岩、高さ 170Cm)

笠、軒口厚く両端で反る。軒下に二重の垂木型を刻出する。
石造群中央に立つ宝塔は、相輪の一部を欠く以外完存する。 首部、円形縁板状の作り出しの上、側面無地で二段の首部をつくる。

笠上端に露盤、屋根の四隅に三筋の降棟、軒先は垂直に切る。

塔 身

塔身は四方に扉型を刻出し、全体を十二区に分け十行に亘る銘文を刻む。銘文は、摩耗が激しく肉眼では読めない。

刻銘:「歿故散位、平朝臣為、一十三年、奉納、如法書写妙、法蓮華経、永仁六年(1298)戊戌、九月十六日、勧進沙門、口口敬白」

永仁六年(1298)九月十六日、古くからの友人であり散位であった故平朝臣 十三年忌の為、沙門口口が勧進し本宝塔を建立、法華経を写経し奉納した。]

( 散位:律令制で、位階だけで官職のない人。)

相輪は、下から伏鉢・請花・九輪で、九輪は七輪を残し、上方の請花・宝珠を欠損する。相輪以外は完存する貴重な在銘宝塔。

基 礎

側面は、四面とも輪郭を巻き内に格狭間を作る。格狭間内は、無地。

基壇は切石の一段、その上に載る宝塔はすっきりと美しい。 刻銘:永仁六年(1298)戊戌

 西方寺(さいほうじ)五輪塔 二基                           石仏と石塔-目次!

西方寺跡 石造遺品群

当地は、西方寺の地名だけが残り、寺は上郡町山野里2747に移転している。

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*JR山陽本線「上郡駅」下車、北西方向へ約3Km。 県道90号線、智頭急行線の下をくぐり約2Km 県道沿いに流れる阿室川に架かる西方寺橋を渡り、すぐ左折、そこに案内の矢印が立っている。案内通り、突き当りを右折、直進、墓地の北側を左折、道なりに進み小川を渡り、しばらく進むと開けた場所があり、そこに宝塔と五輪塔が立っている。

(撮影:平成25年7月2日)