普明寺(ふみょうじ)笠塔婆

 普明寺(ふみょうじ)笠塔婆(兵庫県宝塚市波豆字向井山1-26)

  普明寺は、平安時代に源満仲の四男 源頼平(みなもと の よりひら)によって開かれた。当初は真言宗で、寛文年間(1661~1672)に曹洞宗の寺院として再興された

普明寺(ふみょうじ)笠塔婆 二基 (市指定文化財、南北朝時代 、流紋岩)

  普明寺阿弥陀三尊種子 笠塔婆(向かって左側)

普明寺(ふみょうじ)阿弥陀三尊種子 笠塔婆(市指定文化財、南北朝時代 正平十九年 1364年、流紋岩、高さ 136.7Cm)

笠塔婆の下部に、「正平十九 (1364)甲辰 三月六日 孝子ホ(等) 敬白」の刻銘がある

文面は、南北朝時代の正平19年(1364)に、子供たちが亡き両親の為に造立したと刻んでいる

上部には、上に大きく阿弥陀如来の種子「キリーク」、下左に勢至菩薩の種子「サク」、下右に観音菩薩の種子「サ」を薬研彫りし、阿弥陀三尊とする

  普明寺二尊種子 笠塔婆(向かって右側)

普明寺(ふみょうじ)二尊種子 笠塔婆(市指定文化財、南北朝時代、流紋岩、高さ 135Cm)

上部に大きく金剛界大日如来の種子「バン」、下に阿閦(あしゅく)如来の種子「ウーン」を薬研彫りする。紀年銘は、入っていない

二基の笠塔婆 種子部

向かって右側の笠塔婆は、笠部が欠失している

左側 笠塔婆の正平(しょうへい)年号は南朝方の年号で珍しく、兵庫県下の板碑で、南朝年号はこれ一基のみという

神戸水道干刈水源池を挟んで北側の波豆八幡神社に、南北朝時代の古塔が二基あるが、康永二年(1343・五輪塔)、明徳二年(1391・宝篋印塔)と北朝方年号を使っている

笠塔婆と宝篋印塔の左手に据えられている 五輪塔群

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基礎上端は反花、側面は輪郭を巻き内に格狭間をつくる。(三面)
普明寺、奥の墓地に開山 源 満照(頼平)の廟に宝篋印塔が立っている 正面のみ、格狭間内に近江文様の宝瓶三茎蓮を浮彫にする

普明寺、源満照(頼平)公廟の宝篋印塔

 笠塔婆(かさとうば)

*JR・神戸電鉄三田駅より阪急田園バス乗車、「普明寺橋バス停」下車 徒歩 約7分。または阪急・JR宝塚駅より阪急田園バス「波豆行き」乗車、終点の「波豆バス停」下車 徒歩 約10分。

(撮影:平成21年5月14日)