護国之寺(ごこくしじ)宝篋印塔

 護国之寺(ごこくしじ)(岐阜県岐阜市長良雄総194-1)

   鎌倉時代後期 嘉元二年(1304)の在銘宝篋印塔で、岐阜県では最も古い部類に入る。

護国之寺(ごこくしじ)宝篋印塔 (県指定文化財、鎌倉時代後期 嘉元二年 1304年)

塔身西面、輪郭を巻き、内に薄く陰刻した月輪を配する。
本堂東側奥、石段を登った右側、植込みの中に立っている。 塔身北面、輪郭を巻き、内に薄く陰刻した月輪を配する。

現地説明によると、塔身の月輪内は梵字が彫られているというが、肉眼では不明。通常の場合は、金剛界四仏が刻まれている。

段形は、下二段、上六段。隅飾は、二弧輪郭付で内は無地。

塔身東面、輪郭を巻き、内に薄く陰刻した月輪を配する。
塔身南面(向かって右)、輪郭を巻き、内に薄く陰刻した月輪を配する。 宝篋印塔(高さ、約四尺 位)は、大きな自然石を基壇として立つ。

塔身の月輪を彫りくぼめて表すのは珍しく、他に滋賀県野洲市の仏法寺(ぶっぽうじ)宝篋印塔(文保三年 1319年)がある。

基礎 北面

基礎は、上端二段、側面は四面とも無地で、北面に四行の刻銘がある。

刻銘:「祖父 念西、慈父 惟親、沙弥 蓮生、嘉元二季(1304)八月、時正

沙弥蓮生が、亡き祖父と父の供養の為、鎌倉時代後期 嘉元二年(1304)秋 彼岸の中日に、この宝篋印塔を造立した。

刻銘:嘉元二季(1304)八月、時正 相輪、反花の付いた伏鉢の上に、別物の相輪を後補する。

台 座

宝篋印塔は、基礎下に複弁の反花座を設ける。

護国之寺(ごこくしじ)本堂(観音堂)(高野山真言宗)(江戸時代中期 元文元年 1736年)

本尊の十一面千手観音が安置されている。

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護国之寺楼門(仁王門) (市指定文化財、江戸時代中期 宝暦十二年 1762年)

護国之寺は、天平十八年(746) 聖武天皇の勅願により僧 行基が開創したと伝える。

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*JR岐阜駅前から 岐阜バス おぶさ行きに乗車、終点「おぶさバス停」下車、すぐ。楼門(仁王門)の横がバス停。

(撮影:平成25年8月4日)