(弘前市史 No:大鰐16 )
阿弥陀堂跡(あみだどうあと)石塔婆群 (青森県南津軽郡大鰐町三ツ目内字富岡)
石塔婆群中 一番古い鎌倉時代後期 正応二年(1289)の紀年銘がある。阿弥陀堂跡は、福王寺(乳井神社)の分寺があった所という。
金剛界大日種子石塔婆 (町指定文化財、鎌倉時代後期 正応二年 1289年、石英安山岩、高さ 85Cm 幅 28Cm 厚さ 21Cm) |
阿弥陀堂跡の石塔婆は、付近に散在していたものを一ヶ所にまとめたもので、約三十基を数えるが、きちんと見れるようにはなっていない。石塔婆は、
縦になり、横になり、斜めになり、また重ね合っているものもあり、正確な調査はされていない状況にある。その中で最古 正応二年(1289)の紀年銘を
持つのが本石塔婆である。石塔婆群中 紀年銘が確定されている石塔婆は五基で、正応二年(1289)から正安四年(1302)の短期間の紀年銘がある。.
確定されていない石塔婆に、廿年十月廿二日と読めそうなものがあり、青森県で一番新しい室町時代 応永二十年(1413)の紀年銘が指摘されている。
石塔婆 上方
金剛界大日如来の種子「バン」を刻む。
上方に金剛界大日如来の種子「バン」、下方に紀年銘を刻む。 | 刻銘:「正應二年(1289)己丑、三月二日」 |
阿弥陀堂跡(あみだどうあと)石塔婆群 (青森県南津軽郡大鰐町三ツ目内字富岡)
金剛界大日種子「バン」を主尊とする石塔婆で、鎌倉時代後期 正安四年(1302)の紀年銘がある。
金剛界大日種子石塔婆 (町指定文化財、鎌倉時代後期 正安四年 1302年、石英安山岩、高さ 125Cm 幅 40Cm 厚さ 43Cm)
頭部は、丸みを帯びている。石面は、上方に金剛界大日如来の種子「バン」、下方に「正安四年(1302)」の紀年銘を刻む。 |
下方の刻銘:「正安四年(1302)壬寅、卯月八日」
石塔婆 主尊
金剛界大日如来の種子「バン」。
石塔婆 上方、金剛界大日如来の種子「バン」を刻む。 | 刻銘:「正安四年(1302)壬寅、卯月八日」 |
阿弥陀堂跡(あみだどうあと)石塔婆群
八角形の覆屋内に置かれている。
*弘南鉄道 大鰐線「宿河原駅」下車、南西方向へ 約600m。「富岡バス停」の南側、家並みの裏側に立つ。
(撮影:平成25年10月14日)