八剣(やげん・やつるぎ)神社(愛知県岡崎市大門3-29-6)
石造宝塔は、延文三年(1358)四月晦日に死去した足利尊氏の供養塔で、同年同月の紀年銘がある。
八剣神社(やげんじんじゃ)石造宝塔(市指定文化財、南北朝時代中期 延文三年 1358年、花崗岩、総高 215Cm)
宝塔は、本殿に向って右側裏に立つ。笠と塔身が本来のもので、他は別物。塔身に刻銘があり足利尊氏の供養塔として造立された。 |
笠
軒裏に一段の垂木型、頂部に露盤を作り出し、両端で反る。
塔身上方
首部は、丸ごと笠の内に挿入されている。
相輪は、下三段を宝篋印塔の笠、上一段を五輪塔の火輪で充当。 | 岡崎市内の石造物最古 延文三年(1358)の紀年銘がある。 |
塔身正面(南面)
正面に扉型を刻み、その内側と左右に計八行に亘る銘文を刻む。
刻銘:「源尊氏公、足利治部大輔、征夷大将軍、等持院殿妙義、干時延文三天(1358)、四月晦日、足利内蔵之尉敬白、正啓口口」
足利内蔵之尉が、延文三年(1358)四月晦日に死去した足利尊氏の供養の為、この石造宝塔を建立した。
尚、治部大輔は尊氏が元応元年(1319)に初めてついた役職、また建武五年(1338)に 征夷大将軍となり、延文三年(1358)四月晦日に死去する。等持院殿妙義は尊氏の法名(戒名)。
塔身 西面 | 塔身 東面 |
東面から南面、西面にかけて刻銘がある。
基礎・基壇
基礎は欠失し、平石と切石で四段に積上げられている。
当地は、三河守護職を務めた足利義氏以降の拠点で、八剣神社付近には尊氏の屋敷があったと伝えている。 |
尊氏は死去後、京都市北区の等持院に葬られ、法名を等持院殿妙義と号した。以後、等持院は足利家歴代の廟所となっている。
八剣神社(やげんじんじゃ)石造宝塔(市指定文化財、南北朝時代中期 延文三年)
石造宝塔は、大きく存在感があり、静かに本殿裏側に立っている。
長沢(ながさわ)観音堂 三尊種子自然石塔婆 石仏と石塔-目次!
八剣神社
石造宝塔 紀年順 | 赤城神社貞治五年銘 宝塔(南北朝時代) | 石造 宝塔 紀年順-目次 |
*愛知環状鉄道「大門駅」下車、北西方向へ徒歩 約13分。
(撮影:平成25年9月9日)