小屋谷 胎蔵界大日種子自然石塔婆

 小屋谷(こやだに)梵字石仏 [奈良県宇陀郡御杖村神末(こうずえ)小屋谷]

  三重県美杉町の真福院から移したと伝わる梵字石仏。真福院に残る弘長元年(1261)銘石塔婆と同様式で、同じ鎌倉時代中期の造立と考えられている。

小屋谷(こやだに)胎蔵界大日自然石塔婆(梵字石仏)(鎌倉時代中期、凝灰岩、高さ 145Cm 幅 49Cm 厚さ 45Cm)

小屋谷の伊勢本街道沿いに立つ。胎蔵界大日の種子を刻んだ石塔婆で、文政九年(1826)に造られた石の社殿内に安置されている。

石塔婆、身部上方

蓮華座上月輪内に大きく胎蔵界大日如来の種子(五点具足)「アーンク」を刻む。

江戸時代後期 文政九年(1826)に保護の為造られた社殿の石柱(円柱)に、「胎蔵界大日如来」(向って右)・「胎蔵大権現」(左)と刻まれている。

真福院から移したと伝わる美杉型の梵字石仏。三角形の台座、その上に蓮座と月輪を線刻し、月輪内に胎蔵界大日如来の種子を刻む。

身部 下方

三角形の台座、その上に蓮座を線刻する。

石塔婆側面(向って左側) 石塔婆側面(向って右側)
種子「ウーン」(金剛薩埵 他)・「ラン」(金剛語菩薩 他)を刻む。 種子「バン」(金剛界大日如来)・「ボロン」(一字金輪)を刻む。

石塔婆、側面の梵字

石塔婆背面・石柱[刻銘:文政九丙戌年(1826)三月吉日] 背面左側、石柱の刻銘:「和州宇陀郡神末内小屋村」

石造の社殿は、梵字石仏を保護する為 江戸時代後期 文政九年(1826)三月 大和宇陀郡神末内小屋村の人々により造られた。

 美杉型梵字石仏一覧

指定 名       称 制  作  年 所    在    地
  鎌倉時代中期
真福院(しんぷくいん)大日種子自然石塔婆      弘長元年(1261年) 三重県津市美杉町三多気204
小屋谷(こやだに)胎蔵界大日種子自然石塔婆  鎌倉時代中期 奈良県宇陀郡御杖村神末小屋谷
真福院(しんぷくいん)阿弥陀三尊・地蔵三尊種子自然石塔婆  鎌倉時代中期 三重県津市美杉町三多気204
真福院(しんぷくいん)胎蔵界大日種子自然石塔婆  鎌倉時代中期 三重県津市美杉町三多気204
太郎生(たろう)胎蔵界大日種子自然石塔婆    鎌倉時代中期 三重県津市美杉町太郎生
春日(かすが)大日種子自然石塔婆(梵字石仏)     鎌倉時代中期 奈良県宇陀市大宇陀区春日
  鎌倉時代後期
国津(くにつ)神社 阿弥陀種子自然石塔婆       鎌倉時代後期 三重県津市美杉町太郎生
真福院(しんぷくいん)金剛界大日種子自然石塔婆  鎌倉時代後期 三重県津市美杉町三多気204
日神(ひかわ)不動院 阿弥陀三尊種子自然石塔婆 鎌倉時代後期 三重県津市美杉町太郎生5139
西法寺(さいほうじ)阿弥陀種子自然石塔婆    鎌倉時代後期 三重県津市美杉町太郎生4060
日神(ひかわ)不動院 金剛界大日種子自然石塔婆.        鎌倉時代後期 三重県津市美杉町太郎生5139

伊勢本街道沿いに立つ梵字石仏

 大広町墓地(おおひろちょうぼち)地蔵石仏                   石仏と石塔-目次!

国道368号線、奈良県と三重県の県境(奈良県側)、伊勢本街道(山道)

この伊勢本街道入口(山道)から約300m山道を登ると左側に胎蔵界大日自然石塔婆が立っている。

 板碑(いたび)

*近鉄大阪線 名張駅西口から三交バス 敷津行きに乗車、終点「敷津バス停」下車。国道368号線を東方向へ約1.8Km、国道の県境に「三重県」のプレートが立っている。その手前(奈良県側)南側に小公園があり、そばに山道の伊勢本街道の入口がある。この入口から伊勢本街道の山道を登って約300m、左手に石塔婆が立っている。

(撮影:平成25年9月27日)