縁城寺(えんじょうじ)宝篋印塔

 縁城寺(えんじょうじ)(京都府京丹後市峰山町橋木873)

  天平時代の養老元年(717)にインド僧 善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)の創建と伝える古刹。盛時には、七堂二十五坊が並び建っていた。

縁城寺宝篋印塔(重要文化財、南北朝時代 正平六年 1351年、花崗岩、高さ 313.9Cm)

塔身、蓮華座上月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(正面、ウーン:阿閦)
宝篋印塔は本堂前の境内、向かって左手側、石柵の中に安置されている 塔身、蓮華座上月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(南面、タラーク:宝生)

笠の段形は、下二段、上六段、隅飾は三弧輪郭付で内に蓮華座上の月輪を陽刻し梵字を刻む

塔身、蓮華座上月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(西面、キリーク:阿弥陀)
塔身、蓮華座上月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(北面、アク:不空成就) この地方を代表する宝篋印塔で、南北朝時代の銘を持つ貴重な作品

基 礎

基礎は壇上積式で、上端は二段、側面は正面と両側面が中心飾りつきの格狭間をつくり、背面は無地で刻銘を入れる

相輪は完存し、下から伏鉢・請花・九輪・請花・宝珠。石塔の下部は、基壇上に 二重の壇を設け、その上に複弁反花座を置く

複弁反花座 正面

側面を三区に分け、中央はやや広く格狭間をつくり、左右に近江文様の開蓮華文様を浮彫りにする

複弁反花座 両側面

側面を三区に分け、中央はやや広く格狭間をつくり、左右に近江文様の散蓮華文様を各一片 浮彫りにする

複弁反花座 背面

背面は無地で、文様は刻まれていない

基礎の背面、向かって左方に「金剛仏子行秀」「正平六年(1351)の刻銘がある。刻銘(写真:右上)は、肉眼では読取れない

南朝年号の正平六年(1351)に行秀和上が、開山のインド僧 善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)の供養塔として造立した。尚、行秀和上は、翌 正平七年に没している

壇 上 積 基 壇

大きい壇上積基壇で、側面は二区に分け、正面と両側面の羽目石は各々格狭間を刻み、背面は無地。上に二重の壇を設ける

壇上積基壇、正面と両側面の羽目石は格狭間をつくる
笠の隅飾り(すみかざり)、三弧輪郭付で内に月輪を陽刻し梵字を刻む 壇上積基壇、背面の羽目石は無地

基礎に中心飾りつき格狭間(こうもり狭間)がある宝篋印塔

指定 名       称 制  作  年 所    在    地
  南北朝時代
満福寺(まんぷくじ)宝篋印塔        康永二年(1343年) 兵庫県養父市十二所724
縁城寺(えんじょうじ)宝篋印塔           正平六年(南朝・1351年) 京都府京丹後市峰山町橋木873
桃島(ももしま)宝篋印塔 応安五年(1372年) 兵庫県豊岡市城崎町桃島1043-14
温泉寺(おんせんじ)宝篋印塔        南北朝時代前期 兵庫県豊岡市城崎町湯島985-2
安国寺(あんこくじ)宝篋印塔(尊氏母 供養塔)   南北朝時代 京都府綾部市安国寺町寺ノ段1
安国寺(あんこくじ)宝篋印塔(足利尊氏供養塔)  南北朝時代 京都府綾部市安国寺町寺ノ段1
安国寺(あんこくじ)宝篋印塔(尊氏 妻供養塔)    南北朝時代 京都府綾部市安国寺町寺ノ段1
万松寺(ばんしょうじ)宝篋印塔              南北朝時代 兵庫県丹波市春日町野村84
温泉寺(おんせんじ)宝篋印塔 東塔       南北朝時代 兵庫県豊岡市城崎町湯島985-2
西倉(にしくら)宝篋印塔                 南北朝時代後期 兵庫県丹波市青垣町栗栖野字西倉ノ上96

縁城寺(えんじょうじ)多宝塔 下重(指定なし、江戸時代後期 天保五年 1834年建立)

現在の多宝塔が建立される前には、南北朝時代 応安七年(1374)の火災後 再建した塔が残っていたといい、破損が甚だしく天保元年(1830)に撤去され、

四年後の天保五年(1834)に、今の塔が建立されたが、昭和三十八年(1963)の豪雪で多宝塔の上重が倒壊した。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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縁 城 寺 本 殿

本尊は、重要文化財指定の秘仏 千手観音立像(平安時代)

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*北タンゴ鉄道宮津線「峰山駅」下車、北方向へ徒歩 約50分。タクシーで6分。

(写真:平成21年10月19日)