深谷(ふかたに)十三仏 石仏(山口県山口市徳地深谷)
十三仏を一尊一石で刻んだ石仏で、西日本の十三仏遺品では最も古い室町時代前期 応永十四年(1407)の紀年銘がある。
深谷(ふかたに)十三仏 石仏 (市指定文化財、室町時代前期 応永十四年 1407年、花崗岩、中央虚空蔵仏の高さ 87Cm)
堂内に一尊一体で前後二列、十三体で十三仏を刻んだ石仏が安置されている。石仏の光背面には、その尊名と忌日が刻まれている。
十三仏は、死者の追善供養のために①.初七日(不動)、②.二七日(釈迦)、③.三七日(文殊)、④.四七日(普賢)、⑤.五七日(地蔵)、⑥..六七日(弥勒)、⑦.七七日(薬師)、
⑧.百ヶ日(観音)、⑨.一周忌(勢至)、⑩.三回忌(阿弥陀)、⑪.七回忌(阿閦)、⑫.十三回忌(大日)、⑬.三十三回忌(虚空蔵)の十三仏事にわりあてられた仏・菩薩をいう。・・
最初の十仏は、閻魔王など十王の本地仏を、初七日(不動)から三回忌(阿弥陀)までに当て、この十仏に七回忌 阿閦、十三回忌 大日、三十三回忌 虚空蔵を加えたのが十三仏。
深谷(ふかたに)十三仏 虚空蔵石仏 (市指定文化財、室町時代前期 応永十四年 1407年、花崗岩、高さ 87Cm)
前列中央に祀られている石仏で、二重光背を負い蓮座上に坐す虚空蔵菩薩を表す。この石仏のみ背面に紀年銘がある。
刻銘は、光背部の向って右に「三十三虚空蔵」、左に造立者「比丘能至」、背面に「応永十四(1407)、丁亥、二月彼岸、逆修」と刻む。
[ 「比丘能至」が、室町時代前期 応永十四年(1407)春の彼岸日に自らの逆修供養のため、本十三仏 石仏を造立した。]
深谷(ふかたに)十三仏 前列向って右側三体 (市指定文化財、室町時代前期、花崗岩、高さ 約70Cm)
向って右は「不動明王(初七日)」、左は「地蔵菩薩(五七日)」、中央は不明。
深谷(ふかたに)十三仏 不動石仏 (市指定文化財、室町時代前期、花崗岩、高さ 約70Cm)
岩の形を装飾化した瑟々座(しつしつざ)に坐し、利剣を構え、手に羂索を持つ。
刻銘は、光背部の向って右に「初七日不動」、左に造立者「比丘能至」と刻む。
深谷(ふかたに)十三仏 前列向って左側三体 (市指定文化財、室町時代前期、花崗岩、高さ 約70Cm)
十三仏 光背面の尊名は薄い線刻で、肉眼では判読不能。多くは、見た目で尊名を判断できない。
深谷(ふかたに)十三仏 地蔵石仏 (市指定文化財、室町時代前期、花崗岩、高さ 約70Cm)
蓮座上に坐し、右手は錫杖、左手は宝珠を胸前に捧げ持つ。
刻銘は、光背部の向って右に「五七日地蔵」、左に造立者「比丘能至」と刻む。
深谷(ふかたに)十三仏 石仏 (市指定文化財、室町時代前期 )
光背面、左側刻銘:「比丘能至」 | 堂外、十三仏の石碑 [文政九年(1826)銘] |
石碑銘:「原夫当郷十三仏之霊像者応永年中奥山従清龍寺山岳優婆塞優婆夷道者之作而一夜放光飛移此地謂伝来久矣鳥兎
推移星霜既四百有余歳也蓋為擁護際臨此明焉依信心厚主林姓者建碑此顕其徳」(部分)
深谷(ふかたに)十三仏 石仏 (市指定文化財、室町時代前期)
深谷(ふかたに)十三仏 石仏 (市指定文化財、室町時代前期)
十三仏 石仏は、丘上に建つお堂の内に安置されている。
参考文献:「山口県徳治の応永在銘十三仏」(内田 伸 著 『史迹と美術 426号』)
*JR山陽本線 防府駅北口から防長バス 掘方面行きに乗車、「堀バス停」で乗り換え、「小古祖バス停」下車、北東方向へ徒歩 約16分。
(撮影:平成26年 3月12日)