定福寺(じょうふくじ)六面石幢

 定福寺(じょうふくじ)(和歌山県有田市宮原町須谷313)

  幢身(どうしん)の上に中台、龕部(がんぶ)が載る複制石幢で、龕部六面に六地蔵を刻む。室町時代後期 永禄十年(1567)の紀年銘がある。

   定福寺(じょうふくじ)六面石幢 (市指定文化財、室町時代後期 永禄十年 1567年、砂岩、高さ 193Cm)   

須谷村 西の入口付近の街道沿いに建てられていたものを定福寺境内に移したものという。表面の剥離が、かなり激しい。

複制石幢は南北朝時代から出現し、当初 笠の蕨手(わらびて)や幢身(竿)の節はなかったが、室町時代に入って本石幢の様な石燈籠の影響を受けた石幢が現れる。

宝珠・請花

宝珠は下に首部と請花を造りつける。請花は、覆輪付の単弁で間弁(小花)がついている。

笠は六角で、蕨手(わらびて)を付ける。

龕部(がんぶ) 六地蔵

龕部(がんぶ)は六面で、円光背を負った地蔵菩薩立像を各面に刻む。

六地蔵は、地蔵菩薩が六道をめぐって亡者を救済するという誓願を六体の地蔵像で具体的に表したもの。

六道は、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道の六つで、衆生が自ら作った業(ごう)により六つの世界を生死輪廻する。

中 台

中台は、六角で側面は無地、下端に請花を刻む。

幢身(竿)は、上下に各二条、中節に三条の三節をつくる。 幢身上方、中央の刻銘:「念仏六口 一結衆中」

幢身の刻銘(全文)「権大僧都 宥意法印、念仏六口 一結衆中、敷地寄進 忠愛禅門、口通禅門、永禄十年(1567)丁卯、四月口日」

室町時代後期 永禄十年(1567)の紀年銘とともに、「敷地寄進」と「念仏一結衆」の刻銘がある。

基 礎

基礎は円形で、上端に反花を刻み出す。

六面石幢安置の小堂

六面石幢は、門を入った右手、小堂の中に安置されている。

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定福寺 (西山浄土宗)

本尊は、十一面観音。

 石 幢 (せきどう)

*JR紀勢線「紀伊宮原駅」下車、西方向へ 約2Km。

(撮影:平成25年12月24日)