正福寺(しょうふくじ)(東京都東村山市野口町4-6-1)
釈迦種子を刻んだ板碑で、東京都内最大の板碑といわれ高さ 285Cm(地上部 245Cm)の大板碑。南北朝時代前期 貞和五年(1349)の紀年銘がある。
正福寺 釈迦一尊種子板碑(市指定文化財、南北朝時代前期 貞和五年 1349年、緑泥片岩、高さ 285Cm 最大幅 58.5Cm) |
地蔵堂(国宝)の手前、向って左側の板碑収納庫に安置されている。身部は、蓮華座上月輪内に釈迦の種子「バク」、下方に光明真言と銘文を刻む。
蓮華座上月輪内に刻まれた釈迦如来の種子「バク」 | 板碑は、下方で二分断され、修理が施されている。 |
現地説明板によると、この板碑はかって寺の南 前川の橋として使用され「経門橋」・「念仏橋」と呼ばれていた。江戸時代から、この橋を動かすと疫病が起こると伝
えられ、昭和二年(1927)五月に改修の為、板碑を撤去したところ、赤痢が発生した。その為、同年八月に橋の畔で法要を営み、板碑を正福寺境内に移したという。
板碑 頭部
頭部 山形、下に二段の切込、切込の二段目 左右に小穴が開いている。額部は突出し、身部の輪郭はない。
身部下方は、中央に「貞和五年(1349)、己丑、卯月八日、帰源、逆修」、左右に各一行「光明真言」を梵字で刻む。 |
光明真言:「オン、ア、ボ、ギャ、ベイ、ロ、シャ、ナ、マ、カー、ボ、ダラ」、「マ、ニ、ハン、ドマ、ジンバ、ラ、ハラ、バ、リタ、ヤ、ウーン」
「紀年銘」(中央)と左右に梵字「光明真言」 | 刻銘:「貞和五年(1349)、己丑、」 |
阿弥陀一尊種子と「南無阿弥陀佛」の六字名号を刻んだ板碑で、完形は埼玉県東松山市に青鳥城跡 阿弥陀種子名号複合板碑の例がある。
上・下部を欠失する。阿弥陀種子と名号を刻んだ複合板碑 | 名号の左下、刻銘:「法界衆生 平等利益」 |
正福寺(しょうふくじ)阿弥陀一尊・名号 複合断碑(年代不明、緑泥片岩、高さ 124.5Cm 幅 46.5Cm)
板碑 収納庫
板碑は、地蔵堂に向って左側手前、収納庫に安置されている。
正福寺 地蔵堂(国宝、室町時代前期 応永十四年 1407年、方三間裳階(もこし)付、杮葺)
完存する禅宗様式仏殿のなかで年代が明らかな最古の例、鎌倉 円覚寺舎利殿と酷似する。
塩船観音寺(しおふねかんのんじ)種子板碑 石仏と石塔-目次!
正福寺(しょうふくじ)(臨済宗 建長寺派)
鎌倉時代 弘安四年(1281)頃、北条一族出身の入宋僧 無象静照(むぞうじょうしょう)
が師の南宋 径山寺 石渓心月(きんざんじ しっけいしんがつ)を勧請開山として開創した。
*西武新宿線「東村山駅」下車、北西方向へ徒歩 約11分。
(撮影:平成25年3月6日)