真蔵院(しんぞういん)(千葉県花見川区武石町1-1413)
阿弥陀如来の種子「キリーク」を荘厳体で刻んだ武蔵型板碑で、鎌倉時代後期 永仁二年(1294)の紀年銘がある。
真蔵院 阿弥陀種子板碑(市指定文化財、鎌倉時代後期 永仁二年 1294年、緑泥片岩、高さ 237Cm 幅 45Cm)
身部は、上方に三弁宝珠を伴って荘厳体で阿弥陀種子を蓮座上に、下方は中央に造立趣旨・紀年銘、左右に光明真言を刻む。 |
板碑 頭部
頭部 山形、下に二段の切込、身部は二重線の輪郭を巻く。
身部上方、蓮座上に「阿弥陀」の種子「キリーク」を刻む。 | 身部、下方の刻銘 |
身部上方は、蓮座上に「阿弥陀如来」の種子「キリーク」を荘厳体で刻み、種子の頭部を三弁宝珠で荘厳する。
下方の刻銘は、中央に「右為先妣聖霊出離生死證大菩提也、永仁第二暦(1294)、季秋(9月)卅之天」、左右に「梵字 光明真言」を刻む。
光明真言:「オン、ア、ボ、ギャ、ベイ、ロ、シャ、ナ、マ、カー、ボ、ダラ」 「マ、ニ、ハン、ドマ、ジンバ、ラ、ハラ、バ、リタ、ヤ、ウーン」
光明真言は、「不空羂寂毘廬舎那仏大灌頂光明真言経(ふくうけんじゃくびるしゃなぶつだいかんちょうこうみょうしんごんきょう)」に出る陀羅尼で、
光明真言を誦(じゅ)して土砂を加持し、それを遺体に散ずれば、罪障を除き西方極楽浄土に往生できると説かれている。
板碑、最下方
中央の刻銘:「永仁第二暦(1294)、季秋(9月)卅之天」
刻銘:「永仁第二暦(1294)」 | 板碑 側背面、背面に「施主常胤」の追刻がある。 |
板碑は、亡き母の追善供養として鎌倉時代後期 永仁二年(1294)九月に造立された。
真蔵院 阿弥陀種子板碑(市指定文化財、鎌倉時代後期 永仁二年 1294年、緑泥片岩、高さ 237Cm 幅 45Cm)
「板碑の総合研究(2)地域編」(坂詰秀一 編、柏書房)の千葉県 地域別分布表によると、
千葉地域の武蔵型板碑は56基あり、一方下総型板碑はわずか1基しかなく、当地域は武蔵型板碑文化圏に属する。
新勝寺(しんしょうじ)阿弥陀三尊種子板碑 石仏と石塔-目次!
真蔵院 (真言宗豊山派)
平安時代前期 大同元年(806)に興教大師により開山されたと伝える古刹。
本尊は、千葉介常胤の三男 武石三郎胤盛が母の菩提を弔うために祀ったと伝える柳地蔵菩薩(現地説明板)。
*「京成幕張駅」またはJR 「幕張駅」 下車、北東方向へ徒歩 約20分。
(撮影:平成26年10月2日)