小菩提寺跡(しょうぼだいじあと)石造多宝塔

 少菩提寺跡(しょうぼだいじあと)(国史跡)(滋賀県湖南市菩提寺)

   少菩提寺は、興福寺の別院として天平三年(731)に良弁により建立された。聖武天皇以後歴代天皇の勅願所となっている。

少菩提寺跡 石造多宝塔 (重要文化財、鎌倉時代中期 仁治二年 1241年、花崗岩、高さ 454Cm)

下から、初層屋根上の饅頭型(亀腹)・高欄と二層屋根下の斗栱(ときょう)
少菩提寺跡三体地蔵の西側、少し高台になった所に立っている 初層軸部、やや背が高く古調を示す。三面が無地で、北面に銘文が入る

二層部 屋根

二層屋根に特徴があり、二重の錣葺(しころぶき)式屋根にしている

錣葺(しころぶき)屋根の木造塔では、日本で一基だけ栃木県益子町に西明寺三重塔(室町時代)がある

二層屋根下の斗栱(ときょう)部を顕著にさせるのは近江の特色という 初層軸部北面、仁治二年(1241)の紀年銘がある

初層軸部北面に銘文があり、「仁治二年(1241)辛丑七日」、「願主僧良善、施主日置氏(へきし)(むすめ)と刻まれている

初層部 屋根

屋根の勾配が緩く、軒反は穏やかで、鎌倉時代中期の様式をよく表している

相輪は、下から伏鉢、請花、九輪、請花、宝珠で、本体に比べ細身。石塔は、滋賀県東近江市の石塔寺三重石塔に通じる大陸的な感じがする

基  礎

基礎は低く古調を示す。西面に「菩提寺石塔寄進田地・・・・・右志者為如法・・・・二親幷・・・・・仁治二年(1241)辛丑七月日」の刻銘がある

日置(へき)氏、女(むすめ)が両親の菩提を弔うため、この石塔を造立し、併せて供養料として田地を寄進した。

供養田料寄進の銘文は、滋賀県栗東市の蜂屋(はちや) 阿弥陀石仏(仁治二年)がある。同じ仁治二年(1241)銘であるのは、興味深い。

石造多宝塔の周りには室町時代後期の小石仏が所狭しと石塔を囲んでいる

少菩提寺は、天平三年(731)の良弁により開創され、毘廬舎那仏を本尊として鎌倉時代まで隆盛を誇った。

元亀元年(1570)六月の兵火で七堂伽藍及び三十六ほどの寺院塔頭が兵火に会い焼失し、その後再建されることもなかった

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少菩提寺跡(しょうぼだいじあと)石造多宝塔 (重要文化財、鎌倉時代中期)

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*JR草津線 石部駅前より湖南市コミュニティバス 菩提寺線・石部駅ルートに乗車、「菩提寺まちづくりセンターバス停」下車、西側へ約600m。

(撮影:平成19年3月4日、平成23年10月19日)