西教寺の石造美術

 西教寺(さいきょうじ)(滋賀県大津市坂本5丁目13-1)

五輪塔(鎌倉時代、花崗岩)

真盛上人廟の近くにある西教寺で最も年代の古い石造物

五輪塔板碑(地輪に名号を刻む) 十三重石塔(江戸時代前期、寛文二年 1662年、為 法印舜興)

十三重石塔は江戸時代前期の作で、鎌倉時代などの石塔より時代が下がり、粗雑な作りになっている。時代が下がると、石塔建立の需要が大幅に

増加した為、粗製濫造の傾向が加速される。また、発注する側も塔を寄進する行為そのもの重視するようになり、石塔の優美な美しさが消えていく。

六地蔵菩薩石仏(墓地の門を入って右側の三体)

各々一石の笏谷石(しょうこつせき)で蓮華座に立つ地蔵を半肉彫りしている

六地蔵菩薩立像(室町時代後期 天文十九年 1550年、笏谷石、像高 115Cm)

六地蔵は墓地の入口におかれることが多く、六地蔵が六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)に住む生き物を様々な苦しみから救済するという信仰からきている

墓地の門を入って左側の三体

六体の地蔵は、左手宝珠・両手蓮華・両手念珠・合掌・右手柄香炉・右手錫杖 左手宝珠とそれぞれ像容が異なっている

明智光秀(天正10年 1582年 没)一族の墓 五輪塔(江戸時代初期、大津そろばん元祖 長谷川左兵衛の墓)

明智光秀は、元亀二年(1571)の信長による比叡山焼討ちの後、坂本城の城主になり災禍をこうむった西教寺の復興に力をつくした

西教寺の檀徒でもあった光秀は天正十年(1582)に亡くなったあと内室の墓とともに祀られている

長岡監物一族の墓(熊本城主細川越中守 職臣)

墓地のバックには琵琶湖が望まれる

 慈眼堂(じげんどう)の石塔                             石仏と石塔-目次!

西教寺 来迎阿弥陀二十五菩薩(桃山時代 天正十二年 1584年、笏谷石)

 石  仏-紀年順-目次

*JR比叡山坂本・京阪電車京津線坂本より江若バス西教寺行き乗車、終点西教寺下車すぐ

(撮影:平成19年3月4日・平成19年12月15日)