妙楽寺(みょうらくじ)薬師堂 宝篋印塔

 妙楽寺 薬師堂(やくしどう)(妙楽長興寺跡)(滋賀県蒲生郡日野町川原)

   基礎の近江文様が美しい宝篋印塔で、鎌倉時代後期の秀作。折れていた相輪も修理が完了している。

妙楽寺(みょうらくじ)薬師堂(妙楽長興寺跡)宝篋印塔 (町指定文化財、鎌倉時代後期、花崗岩、高さ 約195Cm)

塔身、金剛界四仏の種子を刻む。(正面、アク:不空成就如来)
宝篋印塔は、石段を登った左手(西側)の境内に立つ。 塔身、金剛界四仏の種子を刻む。(東面、ウーン:阿閦如来)

段型は、下二段、上五段、隅飾りは二弧で内は無地。

段型の上五段(通常 六段)は、この地方に多い。

塔身、金剛界四仏の種子を刻む。(背面、タラーク:宝生如来)
塔身、金剛界四仏の種子を刻む。(西面、キリーク:阿弥陀如来) 近江文様の開蓮華を三面、散蓮華を一面、基礎側面に刻む。

基礎 正面

基礎は壇上積式で、上端は二段、側面は正・背面と東面の三面が格狭間内に開蓮華文様を陽刻する。

相輪は、下から伏鉢・請花・九輪・請花・宝珠で、請花は上・下とも単弁。九輪は四輪目上部で折れていたが、修理が完了している。

基礎 西面

側面は、格狭間内に散蓮華二片を陽刻する。

基  壇

基壇は、三枚の切石からなる。

境内の五輪塔群

おびただしい数の五輪塔・一石五輪塔が置かれている。もう一つのお目当て、応安二年銘 石燈籠(重美)はなかった。

 大屋神社(おおやじんじゃ)宝篋印塔                      石仏と石塔-目次!

妙楽寺(みょうらくじ)薬師堂(妙楽長興寺跡)入口

妙楽長興寺は、杉杣寺とも呼ばれていた奈良時代創建と伝える大寺。奈良興福寺荘園の公文所も兼ね

いたが、戦国時代 兵火により全山焼失した。現在は、里人により再建された薬師堂が残るのみとなっている。

宝篋印塔紀年順  蓮長寺(れんちょうじ)宝篋印塔(鎌倉時代後期)  宝篋印塔-紀年順-目次

*近江鉄道本線 桜川駅前から近江鉄道バス 原行きに乗車、「川原バス停」下車、南東方向へ 約600m。川原バス停の南 約200mの場所に妙楽寺があるが、薬師堂はそこから南に約100mで川につきあたり、川沿いに東へ約200m行った所で橋を渡り直進、さらに二股の道を北側に約100m行けば入口の石段がある。薬師堂は、低い丘陵の尾根上にある。

(撮影:平成25年12月30日)