薬王寺(やくおうじ)阿弥陀三尊月待板碑

 薬王寺(やくおうじ)(埼玉県比企郡吉見町中新井)

  来迎阿弥陀三尊像刻んだ早期の月待板碑で、室町時代中期 寛正年間(1460~66)の紀年銘がある。

薬王寺 阿弥陀三尊月待板碑(室町時代中期 寛正年間 1460~66年、緑泥片岩、高さ 180Cm 下幅 52Cm)

身部は、枠内最上部に日・月、中央に阿弥陀三尊の図像、その下に三具足と前机、下方に紀年銘を刻む。全体に摩耗が進行している。

板碑 頭部

頭部山形、その下に二条線、身部は一重線の輪郭を巻き、輪郭内上方の左右に日・月を刻む。

阿弥陀三尊の主尊 来迎阿弥陀立像、頭部から光明を放射する円形頭光を負い、蓮華座上に線刻されている。

脇侍の観音・勢至立像と三具足 (みつぐそく)・前机(まえつくえ)

脇侍の両尊とも、円形頭光を負い蓮華座上に立つ。向って右方の観音は合掌し、左方の勢至は摩耗が激しい。

中央は、前机に敷布をかけ、卓上は三具足(燭台・香炉・花瓶)を置く。

板碑下方、前机の下に「月待供養、寛正(1460~66)・・」、その他「祐覚」等多数の交名を刻むが、摩耗・剥落の為、肉眼ではほぼ読めない。

月待は、講衆が、十三夜・十六夜・十九夜・二十三夜などの日に月の出を待ちながら飲食をともにし、月を拝む民間信仰で、二十三夜が最も多い。

最古の月待板碑は、現在 富士見市の難波田城資料館に展示されている「嘉吉元年(1441)」銘板碑で、本板碑の寛政年(1460~66)の紀年銘は早期のものといえる。

 薬王寺(やくおうじ)弘安四年銘 断碑                            石仏と石塔-目次!

薬王寺(やくおうじ)

 板碑(いたび)

*東武東上線 東松山駅東口から川越駅行きバス、またはJR高崎線 鴻巣駅前から東松山駅行きバスに乗車、「比企吉見農協前バス停」下車、北方向へ 約1.9Km。蓮華寺から東に 約250m。

(撮影:平成24年11月11日)