宝蔵院(ほうぞういん)私年号(弥勒二年)板碑

 さいたま市立浦和博物館(埼玉県さいたま市緑区三室2458)

  胎蔵界大日を主尊とする大日三尊を種子で刻んだ板碑で、私年号 弥勒二年が使われている。弥勒二年は室町時代中期 永正四年(1507)にあたる。

宝蔵院 私年号板碑 (市指定文化財、室町時代中期 弥勒二年 1507年、緑泥片岩、高さ 98Cm 下幅 32Cm)

浦和博物館に展示。板碑の左側が約三分の一 剥落している。身部は胎蔵界大日を主尊とする大日三尊を種子で刻む。

大日三尊の下は、前机(まえつくえ)・三具足(みつぐそく)、その下に刻銘があり 「弥勒二年(1507)という珍しい私年号が刻まれている。

板碑 頭部

頭部山形、下に二条線、身部は一重線の輪郭を巻く。身部上端中央に天蓋(てんがい)を刻む。

左右の「日・月」は刻まれていない。

瓔珞を垂らした天蓋の下、大日三尊が種子で刻まれている。 身部下方の刻銘

大日三尊は、上方に大きく胎蔵界大日如来の種子(五点具足)「アーンク」、向って右下に降三世明王の種子「ウーン」

左下は剥落しているが大威徳明王の種子「キリーク」が刻まれていたと思われる。三尊とも蓮座上月輪内に薬研彫されている。

身部下方の刻銘は、中央に「逆修 秀永阿闍梨」、その左右に「弥勒二年」、「正月十六日」、向って右端に「六大無尋常瑜」と刻む。

身部上方、大日三尊の主尊 「胎蔵界大日如来」の種子「アーンク」

美しい瓔珞(ようらく)を垂らした天蓋の下、月輪に梵字光明真言を刻んでいる。

光明真言:「オン、ア、ボ、ギャ、ベイ、ロ、シャ、ナ、マ、カー、ボ、ダラ、マ、ニ、ハン、ドマ、ジンバ、ラ、ハラ、バ、リタ、ヤ、ウーン」

前机(まえつくえ)と三具足(みつぐそく)

前机の上に、向って右から燭台・香炉・花瓶の三具足が配されている。

身部、下方

中央刻銘:「逆修 秀永阿闍梨」、その左右:「弥勒二年、正月十六日」、向って右端:「六大無尋常瑜」

「板碑の総合研究 総論編」(柏書房)によれば、板碑に見える弥勒の私年号は九例に達し、「元年」が一例、「二年」が八例あり、干支のあるものは

、「卯」または「丁卯」となっている。また、[板碑以外にも弥勒の私年号はあり、『甲斐妙法寺記』に「永正四年丁卯」と「永正五年」の間に「弥勒三年

丁卯」が配され「丁卯」の干支を重視し、「弥勒二年」を「永正四年丁卯(1507)にあたるとみなしている。]という久保常晴氏の説を紹介している。また

、弥勒年の発生理由として、飢饉による人馬の餓死、米穀騰貴をあげている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

刻銘:「逆修 秀永阿闍梨」「弥勒二年」 刻銘:「弥勒二年(1507)

 報恩寺(ほうおんじ)十三仏種子月待板碑                       石仏と石塔-目次!

私年号板碑と勢至図像月待板碑(双式) (市指定文化財、室町時代中期)

向って左端が本板碑、中央と右側は珍しい勢至像を刻んだ双式月待板碑。

 板碑(いたび)

*JR京浜東北線「北浦和駅東口」から東武バス「市立病院」行きに乗車、終点「市立病院バス停」下車、南側へすぐ。

(撮影:平成25年3月9日)