東泉寺(とうせんじ)(埼玉県浦和区瀬ヶ崎2-15-3)
来迎阿弥陀三尊像を刻んだ月待板碑で、室町時代中期 文明三年(1471)の紀年銘がある。
東泉寺 阿弥陀三尊図像月待板碑 (市指定文化財、室町時代中期 文明三年 1471年、緑泥片岩、高さ 100Cm 下幅 36Cm)
東泉寺門外南側、墓地入口に立つ。身部は、上方に来迎阿弥陀三尊を図像で、下方は前机の下「奉待供養」他 銘文を刻む。 |
板碑 頭部
頭部山形、下に二条線、身部の輪郭はなく、上端の左右に日・月、中央に天蓋を刻む。
身部上方、天蓋の下、飛雲に乗った来迎阿弥陀三尊像 | 身部下方、脇侍の間に前机、下方に刻銘がある。 |
阿弥陀三尊は、天蓋の下に大きく阿弥陀如来、向って右下に観音菩薩、左に勢至菩薩を刻む。脇侍の間、前机の上に一対の花瓶が線刻されている。
身部、下方
刻銘は中央に「奉待供養逆修、文明三年(1471)、辛卯、十一月廿三日」
、左右に「道珎禅門 道覚禅門」、「道音禅門 道徳禅門、敬白」と刻む。
男性 在俗出家者(禅門)四名の法名が刻まれ、四名が生前に自らのために死後の法要を営む「逆修供養」を「月待供養」として行っている。
月待は、十六夜・十九夜・二十三夜などの日に月の出を待ちながら飲食をともにし、月を拝む行事で、月天を祝って延命長寿、無事息災を願った。
月待行事の催される日は、 勢至の有縁日である二十三日(三夜待)が最も多く、とりわけ十一月二十三日(霜月三夜)が最多で、当板碑も十一月二十三日に造立されている。
主尊の阿弥陀は飛雲の上、頭光を負い 頭部から光明を放射する。 | 観音菩薩、頭光を負い飛雲に乗る。 |
脇侍(観音・勢至)と前机(まえつくえ)
脇侍は摩耗が進んでいるが、観音(右)は蓮台を捧げ持ち、勢至(左)は合掌しているものと思われる。
前机の上は、三具足(燭台・香炉・花瓶)ではなく、一対の花瓶(けびょう)が載っている。
身部、下方中央の刻銘
刻銘:「文明三年(1471)、辛卯、」、「十一月廿三日」
東泉寺(とうせんじ)(天台宗)
*JR京浜東北線「北浦和駅東口」から東武バス「市立病院」行きに乗車、「木崎中学校バス停」下車、西側へ徒歩 約2分。
(撮影:平成25年3月9日)