戸田市立郷土博物館(埼玉県戸田市大字新曽1707)
戸田市美女木 秋元家の月待板碑で、美女木は中世の鶴岡社領佐々目郷内。本板碑は結衆板碑としても代表的なもの。室町時代中期 寛正二年(1461)の在銘碑。
秋元家 阿弥陀三尊種子月待断碑(室町時代中期 寛正二年 1461年、緑泥片岩、高さ 84Cm 下幅 39Cm) |
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戸田市立郷土博物館に展示。惜しくも上半を欠失、身部は阿弥陀三尊種子、下方は「奉月待供養」の他、紀年銘・交名を刻む。 |
身部、阿弥陀三尊種子
上方に阿弥陀種子「キリーク」の下半、向って右下 に観音種子「サ」、左に勢至種子「サク」を蓮座上月輪内に刻む。
身部、下方の刻銘 | 板碑 刻銘 (展示説明文) |
刻銘は、中央上方に「逆修、奉月待供養」、その下、前机(まえつくえ)に敷布をかけ卓上に三具足(みつぐそく)を配置。
下方中央に「寛正二年(1461)、辛巳、八月廿日、人数事敬白、浄徳禅門」、左右に多数の交名(きょうみょう)を刻む。
交名は、法名二名、俗名十一名からなり、法名を持つ在俗出家者を中心としたグループで、月待の行事が行われたことが分かる。
月待は、十六夜・十九夜・二十三夜などの日に月の出を待ちながら飲食をともにし月を拝む行事で、二十三夜が最も多く、当板碑にある二十日は数少ない。
前机・三具足と紀年銘 | 刻銘:「寛正二年(1461)、辛巳」 |
前机の上に三具足(燭台・香炉・花瓶)が配され、その下に「寛正二年(1461)、辛巳、八月廿日、人数事敬白、浄徳禅門」の刻銘がある。
月待板碑は、富士見市 難波田城資料館に展示の「嘉吉元年(1441)」銘を最古として約150基が知られており、本板碑の寛政二年(1461)銘は早期のものといえる。
阿弥陀三尊種子板碑
向って左側が本板碑、右側は常福寺阿弥陀三尊種子板碑(南北朝時代前期 観応元年 1350年銘、高さ 102Cm)
*戸田市立郷土博物館へは、JR埼京線 「戸田駅西口」下車、西方向へ徒歩 約7分。拝観無料、館内は清潔に保たれている。尚、撮影は許可が必要。
(撮影:平成25年3月8日)