大橋堂(おおはしどう)(埼玉県比企郡小川町大字青山1520)
鎌倉幕府滅亡の約一ヶ月前、正慶二年(1333)四月十五日に造立された板碑で、小川町で二番目に大きい。
大橋堂 阿弥陀三尊種子板碑(町指定文化財、鎌倉時代末期 正慶二年 1333年、緑泥片岩、高さ 293Cm 下幅 67Cm)
板碑は、やや「く」の字に曲っている。身部は、上方に阿弥陀三尊の種子を蓮華座上に、下方に華厳経に出る偈(げ)、その下に紀年銘を刻む。 |
板碑 頭部
頭部 山形、下に二段の切込、身部は一重線の輪郭を巻く。
身部上方、蓮華座上に「阿弥陀三尊」の種子を刻む | 身部、下方の刻銘 |
阿弥陀三尊種子は、上方に阿弥陀如来の種子「キリーク」、向って右下 に観音菩薩の種子「サ」、左に勢至菩薩の種子「サク」を刻み阿弥陀三尊とする。
三尊とも月輪なしに、蓮華座上に刻まれている。
身部下方は、「華厳経に出る偈(げ)」、その下中央に「正慶二年(1333)、四月十五日、敬白」と刻む。残念ながら条件が悪く、刻銘はほぼ読めない。
華厳経に出る偈(げ)
偈(げ):「若人欲了知(にゃくにんよくりょうち)、三世一切佛(さんぜいっさいぶつ)、應當如是観(おうとうにょぜかん) 、心造諸如来(しんぞうしょにょらい」
[ もし人ありて、三世一切の御仏(みほとけ)を了知せんと欲すれば、まさにかくの如くに観じて、心に諸々の如来を造るべし。 ]
堂々たる板碑で、大きく、厚く(11Cm)、偈文も珍しい。 | 板碑、側・背面 |
大橋堂(おおはしどう)阿弥陀三尊種子板碑(町指定文化財、鎌倉時代末期 正慶二年 1333年4月15日)
鎌倉幕府は、正慶二年(元弘三年)五月二十二日に滅亡しており、その約一ヶ月前の四月十五日に本板碑が造立されている。
大橋堂 (おおはしどう)
大橋堂は、地図上で「子持地蔵」と書かれている場合が多い。板碑は、お堂に向って右側に立っている。
*東武東上線 JR八高線 小川町駅前からイーグルバス 白石車庫前行きに乗車、「森林組合前バス停」下車、南方向へ徒歩 約8分。
(撮影:平成24年11月12日)