東養寺跡 二十一仏種子庚申待板碑

 東養寺跡(とうようじあと)(勢至堂)(埼玉県越谷市千疋東町5)

   比叡山延暦寺の鎮守神、日吉山王二十一社の本地仏を種子で刻んだ板碑で、これを本尊として申待(庚申待)供養をした。安土桃山 天正三年(1575)の在銘。

東養寺跡 二十一仏種子庚申待板碑(安土桃山時代 天正三年 1575年、緑泥片岩、高さ 132Cm 下幅 44Cm)

勢至堂内に安置されている。身部は釈迦(大宮)を主尊とし、その下 四列五段に残り二十仏、中央の種子間に紀年銘、下方に交名を刻む。

二十一仏は、比叡山延暦寺の護法神、日吉山王二十一社の本地仏を種子で刻んでいる。

本地仏(ほんじぶつ):仏教の仏菩薩が衆生救済の為、日本の神の姿となって現れた垂迹(すいじゃく)神に対する、その本来の仏菩薩。]

板碑 頭部

頭部山形、下に退化した二条線、身部の輪郭はなく、上方 左右に日・月、中央に天蓋(てんがい)を刻む。

身部 最上段

瓔珞(ようらく)付きの天蓋の下、釈迦如来(大宮)の種子「バク」を蓮座上月輪内に大きく刻む。

種子「バク」の左右に「申待」、「供養」と刻む。(  )内は二十一社名。

二十一仏は日吉山王信仰によるもので、山王権現の神使が猿である所から「申」を「猿」に絡ませて申待(さるまち)供養としたといわれている。

 千手観音(八王子) 薬師如来(二宮)     阿弥陀如来(聖真子) 虚空蔵(下八王子)
  (キリーク)      (バイ) (キリーク) (タラーク) 

身部の種子列、上から一段目

山王二十一社の内、最上段の釈迦に一段目の阿弥陀・薬師・千手に二段目の十一面・地蔵・普賢を加えたものが上七社(本宮七社)の本地仏。

十一面観音(客人) 地蔵菩薩(十禅子) 普賢菩薩(三宮) 文殊菩薩(王子宮)
  (キャ)     (カ)  (ウーン)  (マン) 

身部の種子列、上から二段目

 不動明王(早尾) 毘沙門天(大行事) 如意輪観音(聖女) 吉祥天(新行事)
 (カーン)        (バイ)       (キリーク)      (シリー) 

身部の種子列、上から三段目

山王二十一社の内、一段目の虚空蔵、二段目の文殊、三段目の吉祥天・如意輪・毘沙門天・不動と四段目の大威徳が中七社の本地仏。

種子間中央に「天正三年(1575)の刻銘が見える。

大威徳(牛御子) 龍樹菩薩(小十禅師 聖観音菩薩(気比) 弁財天(岩滝)
 (キリーク)      (ナウ) (サ)  (ソ) 

身部の種子列、上から四段目

山王二十一社の内、四段目の龍樹・聖観音・弁財天に五段目の愛染明王・金剛界大日・胎蔵界大日・摩利支天を加えたものが下七社の本地仏。

摩利支天(山末) 胎蔵界大日(二宮竈殿) 金剛界大日(大宮竈殿) 愛染明王(悪王子)
     (マ) (アーク) (バン) (ウーン)

身部の種子列、上から五段目

「板碑の総合研究」(柏書房)の「神道の板碑」項(星野昌治 著)によれば、二十一仏板碑の総数は四十五基を数え、最古が川口市 宝蔵寺の永正十五年(1518)銘

で、最新は八潮市 長安寺の天正二十年(1592)銘のもので、七十四年の間に埼玉・茨城・東京・千葉の一都三県で造立されている。特に、埼玉県南東部に集中する。

刻銘:「天正三年(1575)十二月吉日」 二十一仏種子

身部 最下部

中央に前机・三具足(香炉・燭台・花瓶)を刻み、その両側に造立に携わった十三名の交名が刻まれている。

交名は、向って右から「神口郎」、「三郎口口」、「口郎口口」、「隼人口口」、「善口口」、「口口口口」、三具足・前机

向って左から「八郎六郎」、「新三郎」、「孫八」、「九郎右衛門」、「五郎右衛門」、「五郎左衛門」、「兵庫」、三具足・前机

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勢至堂 (せいしどう)

板碑は、中央の扉の奥に安置されている。

 板碑(いたび)

*JR武蔵野線 「吉川駅」下車、南口から西方向へ突き当り、中川沿いに約500m南行すると人が行き来する為の橋があり、その橋を渡り、直線距離で約300mの所に勢至堂がある。板碑は、勢至堂内中央に安置されている。

(撮影:平成25年3月10日)