稲荷神社(いなりじんじゃ)(埼玉県越谷市北越谷4-12-3)
比叡山延暦寺の鎮守神、日吉山王二十一社の本地仏を種子で刻んだ板碑で、これを本尊として申待(庚申待)供養をした。室町中期 永禄元年(1558)の在銘。
稲荷神社 二十一仏種子板碑(室町時代中期 永禄元年 1558年、緑泥片岩、高さ 130Cm 下幅 51Cm)
稲荷神社境内、東側に立つ。上部欠損、身部は虚空蔵(下八王子)を主尊とし、その下 四列五段に残り二十仏、下方の種子間に紀年銘を刻む。 |
二十一仏は、比叡山延暦寺の護法神、日吉山王二十一社の本地仏を種子で刻んでいる。
[本地仏(ほんじぶつ):仏教の仏菩薩が衆生救済の為、日本の神の姿となって現れた垂迹(すいじゃく)神に対する、その本来の仏菩薩。]
板碑 頭部
頭部は欠損し、天蓋(てんがい)とその瓔珞(ようらく)が認められる。
二十一仏は、天蓋の下に虚空蔵、その下四列五段に二十尊の種子を蓮座上月輪内に、天蓋の左右に「申待」、「供養」と刻む |
二十一仏は日吉山王信仰によるもので、山王権現の神使が猿である所から「申」を「猿」に絡ませて申待(さるまち)供養としたといわれている。
身部 最上段
中央に瓔珞(ようらく)付きの天蓋、その左右に「申待」、「供養」と刻む。
天蓋の下中央に、虚空蔵(下八王子)の種子「タラーク」を蓮華座上月輪内に大きく刻む。( )内は二十一社名。
千手観音(八王子) | 薬師如来(二宮) | 阿弥陀如来(聖真子) | 釈迦如来(大宮) |
(キリーク) | (バイ) | (キリーク) | (バク) |
身部の種子列、上から一段目
山王二十一社の内、釈迦・阿弥陀・薬師・千手に二段目の十一面・地蔵・普賢を加えたものが上七社(本宮七社)の本地仏。
十一面観音(客人) | 地蔵菩薩(十禅子) | 普賢菩薩(三宮) | 文殊菩薩(王子宮) |
(キャ) | (カ) | (ウーン) | (マン) |
身部の種子列、上から二段目
不動明王(早尾) | 毘沙門天(大行事) | 如意輪観音(聖女) | 吉祥天(新行事) |
(カーン) | (バイ) | (キリーク) | (シリー) |
身部の種子列、上から三段目
山王二十一社の内、最上段の虚空蔵、二段目の文殊、三段目の吉祥天・如意輪・毘沙門天・不動と四段目の大威徳が中七社の本地仏。
大威徳(牛御子) | 龍樹菩薩(小十禅師) | 聖観音菩薩(気比) | 弁財天(岩滝) |
(キリーク) | (ナウ) | (サ) | (ソ) |
身部の種子列、上から四段目
山王二十一社の内、四段目の龍樹・聖観音・弁財天に五段目の愛染明王・金剛界大日・胎蔵界大日・摩利支天を加えたものが下七社の本地仏。
向かって右側の種子間に「永禄元年(1558)」、左側に「十一月吉日」と刻む。
摩利支天(山末) | 胎蔵界大日(二宮竈殿) | 金剛界大日(大宮竈殿) | 愛染明王(悪王子) |
(マ) | (アーク) | (バン) | (ウーン) |
身部の種子列、上から五段目
「板碑の総合研究」(柏書房)の「神道の板碑」項(星野昌治 著)によれば、二十一仏板碑の総数は四十五基を数え、最古が川口市 宝蔵寺の永正十五年(1518)銘
で、最新は八潮市 長安寺の天正二十年(1592)銘のもので、七十四年の間に埼玉・茨城・東京・千葉の一都三県で造立されている。特に、埼玉県南東部に集中する。
刻銘:「十一月吉日」 | 刻銘:「文永元年(1558)」 |
身部 最下部
中央に前机・三具足(香炉・燭台・花瓶)を刻み(摩耗)、その両側に造立に携わった十六名の人名が刻まれている。
身部 最下部、人名
向って右から「本願源五郎」、「あ三郎」、「口口右衛門」、「三郎五郎」、「太郎口郎」、「口六」、「助三郎」、「左口口五郎」、三具足・前机
向って左から「口郎二郎」、「六郎三郎」、「源六」、「・・・・」、「平口口」、「・・・・」、「彦口口」、「口口」、三具足・前机
稲荷神社 (いなりじんじゃ)
*東武伊勢崎線 「北越谷駅」、北西方向へ 約500m。
(撮影:平成24年11月14日)