大英寺(だいえいじ)(埼玉県加須市騎西1404)
来迎阿弥陀三尊を刻んだ板碑では最も古い 鎌倉時代中期 正嘉元年(1257)の紀年銘がある。
大英寺 阿弥陀三尊図像板碑 (市指定文化財、鎌倉時代中期 正嘉元年 1257年、緑泥片岩、高さ 104Cm 下幅 36Cm)
板碑群、向って左端に立つ。身部は、飛雲に乗り現世に来迎する阿弥陀三尊を線刻する。線刻による図像板碑の初見とされる。 |
板碑 上部
頭部山形は低く、その頂部を欠く。下に二条線、身部は四周を唐草の文様で囲む。
阿弥陀三尊は、中央に阿弥陀如来を大きく、向って右下に蓮台を捧げ持つ観音菩薩、左下に勢至菩薩を刻んでいる。 |
三尊は飛雲にのり、右斜めに下降する。中尊の阿弥陀は三十二条の光明を放射、白毫からは二条の光が伸び、蓮台を捧げ持つ観音の頭光につながっている。
来迎阿弥陀三尊の脇侍
向かって右の観音菩薩と左の勢至菩薩で来迎阿弥陀三尊を構成する。摩耗が激しい。
身部 下方
下方に三行にわたり「大歳丁巳、正嘉元年(1257)、四月十二日」の刻銘がある
刻銘:「正嘉元年(1257)、大歳丁巳、四月十二日」 | 三尊の四周を唐草文様で囲む。(部分) |
大 英 寺 板 碑 群
本堂に向かって右側、鐘楼横に立つ。完形が四基、断碑が一基、残欠が三基の計八基で、図像板碑は向って左端。
大 英 寺 本 堂
大英寺は、天正十九年(1591)、騎西城主松平康重が亡父の菩提を弔うために創建された。
当初、大秀寺(だいしゅうじ)と号したが、二代将軍 徳川秀忠と秀の字が通じる為、大英寺に改めたという。
*東武伊勢崎線 加須(かぞ)駅前から朝日バス 鴻巣駅・免許センター行きバスに乗車、「根古屋バス停」下車 、南方向へ 約600m。「板碑の美」(西北出版)で、著者の鈴木道也氏は、中尊はもちろん、脇侍の観音・勢至までくっきりと美しく撮影されている。
(撮影:平成22年4月9日、平成25年3月7日)