上野田東台墓地 阿弥陀三尊図像板碑

 上野田東台墓地(かみのだひがしだいぼち)(埼玉県緑区大字上野田489)

  阿弥陀三尊を図像で刻んだ美しい板碑で、鎌倉時代後期 延慶三年(1310)の紀年銘がある。

上野田東台墓地 阿弥陀三尊図像板碑 (市指定文化財、鎌倉時代後期 延慶三年 1310年、緑泥片岩、高さ 105Cm 幅 29Cm)

上野田東台墓地、入口左手に立っている。身部は、来迎阿弥陀三尊を図像で刻み、下方に紀年銘、梵字光明真言を刻んでいる。

板碑 頭部

頭部山形、下に二条線、身部は一重線の輪郭を巻く。弥陀頭部の放射光上方が、郭線からはみ出る。

来迎阿弥陀三尊 身部下方、最下部は埋まっている。

阿弥陀三尊、上方は光明放射の頭光を負い、蓮台に立つ阿弥陀、右下に蓮台を捧げ持つ観音、左下に合掌する勢至を刻む。三尊とも飛雲にのっている。

身部下方の刻銘

中央に「延慶三年(1310)、庚戌、二月・・・」、左右に各一行「光明真言」を刻む。

光明真言:「オン、ア、ボ、ギャ、ベイ、ロ、シャナ、マ、カーボ、ダラ」 「マ、ニ、ハンドマ、ジンバラ、ハラ、バ、リタ、ヤ、ウーン」

来迎阿弥陀如来、光明放射の頭光を負い、来迎印を結ぶ阿弥陀如来を薄肉に陽刻。衲衣は通肩で、柔らかく表現されている。

尚、主尊 阿弥陀如来の蓮台は下写真、脇侍(頭光)の間に薄肉に刻まれている。

脇 侍 (観音・勢至)

向って右は、観音菩薩で蓮台を捧げ持つ。左は合掌する勢至菩薩。両尊とも頭光を負い、腰をおとした姿勢。

刻銘:「延慶三年(1310)、庚戌、二月・・・」 板碑は、阿弥陀像の足下で二分断され、修理が施されている。

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勢至菩薩(脇侍) 観音菩薩(脇侍)

両脇侍は向かい合い、体部は線刻で表現されている。また、蓮座の下に飛雲が刻まれている。

 板碑(いたび)

*JR東浦和駅前、または大宮駅東口から国際興業バス「さいたま東営業所」行きに乗車、終点「さいたま東営業所バス停」下車、北方向へ直線距離で約300m。当初、住所の上野田489あたりを捜したが見つからなかった。結局、住所でいうと上野田491-1の北側に隣接する小さな墓地にあった。(浦和競馬組合 野田トレーニングセンター西端の北側あたりに上野田東台墓地はある。)

(撮影:平成25年3月9日)