川崎共同墓地(かわさききょうどうぼち)(埼玉県ふじみ野市川崎256)
阿弥陀三尊種子を刻んだ板碑で、二基とも全く同じ形式で室町時代中期 応仁元年(1467)の造立。二基は双式板碑とみられている。
室町時代中期 応仁元年(1467) 妙忠禅尼の逆修供養の為造立された板碑で、もう一基と双式とみられている。
川崎共同墓地 阿弥陀三尊種子板碑(室町時代中期 応仁元年 1467年、緑泥片岩、高さ 107Cm 下幅 29Cm)
川崎共同墓地という小墓地の北東角に立つ。身部上方、天蓋の下に阿弥陀三尊の種子、その下に三具足・前机、下方は銘文を刻む。 |
板碑 頭部
頭部山形、下に二段の切込、額部は薄く突出し、身部は一重線の輪郭を巻く。また、輪郭内最上部の左右に日・月を刻む。
天蓋の下「阿弥陀三尊」の種子を蓮華座上月輪内に薬研彫する。 | 下方中央には、前机・三具足(燭台・香炉・花瓶)が配されている。 |
阿弥陀三尊種子は、上方に阿弥陀如来の種子「キリーク」、向って右下 に観音菩薩の種子「サ」、左に勢至菩薩の種子「サク」を刻む。
身部下方の刻銘
刻銘は、中央に「応仁元年(1467)八月日」、左右に「逆修、妙忠、禅尼」、その外側左右に「光明真言」を刻む。
光明真言:「オン、ア、ボ、ギャ、ベイ、ロ、シャ、ナ、マ、カー、ボ、ダラ」 「マ、ニ、ハン、ドマ、ジンバ、ラ、ハラ、バ、リタ、ヤ、ウーン」
室町時代中期 応仁元年(1467) 道仙禅門の逆修供養の為造立された板碑で、もう一基と双式とみられている。
川崎共同墓地 阿弥陀三尊種子板碑(室町時代中期 応仁元年 1467年、緑泥片岩、高さ 110Cm 下幅 32Cm)
川崎共同墓地という小墓地の北西角に立つ。頭部山形、下に二段の切込、身部は輪郭内最上部の左右に日・月、その中間に天蓋、下に阿弥陀
三尊の種子、その下に三具足・前机、下方は紀年銘・造立者・光明真言を刻む。残念ながら前に墓石が立ち、側面でしか全体を見ることができない。
天蓋(てんがい)
くっきりと美しい天蓋が刻まれている。
主尊の阿弥陀種子を天蓋が覆う。瓔珞が美しい。 | 阿弥陀三尊種子 | 身部下方の刻銘 |
阿弥陀三尊種子は、上方に阿弥陀如来の種子「キリーク」、向って右下 に観音菩薩の種子「サ」、左に勢至菩薩の種子「サク」を刻む。
身部下方の刻銘は、中央に「応仁口年、丁亥(1467)、・・・」、左右に「逆修、道仙禅門」、その外側左右に「光明真言」を刻む。
光明真言:「オン、ア、ボ、ギャ、ベイ、ロ、シャ、ナ、マ、カー、ボ、ダラ」 「マ、ニ、ハン、ドマ、ジンバ、ラ、ハラ、バ、リタ、ヤ、ウーン」
道仙禅門の逆修供養の為、応仁元年(1467)に造立された。前出の妙忠禅尼逆修板碑と双式で、二人は夫婦と思われる。
阿弥陀三尊の主尊「阿弥陀如来」の種子「キリーク」。
阿弥陀三尊の脇侍「観音菩薩」と「勢至菩薩」の種子「サ」、「サク」。
脇侍の下、前机の卓上に三具足(燭台・香炉・花瓶)を配置する。
阿弥陀堂(あみだどう)阿弥陀一尊図像板碑(埼玉県ふじみ野市川崎)
川崎共同墓地から南西に約100m(上福岡警察の裏側)、墓地中央にある阿弥陀堂の本尊として祀られている。
阿弥陀堂(あみだどう)阿弥陀一尊図像板碑(市指定文化財、鎌倉後期~南北朝初期)
前の阿弥陀堂本尊が火災により焼失した為、その代替として板碑を祀ったと伝える。堂は施錠され、板碑は専用の小仏殿に安置されている。
*東武東上線 「上福岡駅」下車、西武バス「上福岡入口」から南古谷駅行きに乗車、城北埼玉中学・高校バス停」下車 北方向へ徒歩 約100m。
(撮影:平成25年3月5日)