持宝院・地蔵院・真福寺の文英様石仏

  文英様式の石仏とは、吉備固有の石仏群で、独特の面相と素朴な体部表現の石仏。「文英(ぶんえい)」の名を刻む石仏が四体確認されたことから、同様の作風を持つ

  石仏を  文英様(ぶんえいよう)石仏と称している。石仏の銘から天文二年(1533)〜天正十年(1582)の約五十年の間につくられたことがわかっている。

 持宝院 十一面観音石仏(岡山県岡山市立田835)

  「文英」の名を刻む、文英石仏を代表する一体

持宝院 十一面観音石仏 (室町時代後期 天文十四年 1545年、高さ 102Cm 幅 70Cm)

「福成寺 文英誌」「天文十四年(1545)乙巳三月吉日」の刻銘が像の両側にあり、文英が福成寺の人物であることが知れる

蓮華座は剣菱形で、その上に坐す十一面観音像。頭部は、周囲を削って薄肉彫り、その他を線刻する

持宝院 地蔵石仏(高さ 63Cm 幅 40Cm)

「益妙」という供養者の名前が刻まれている

   *JR吉備線「備中高松駅」下車、北東方向へ 500m。

 地蔵院 文英様石仏(岡山県岡山市高松 原古才275)

地蔵院 地蔵石仏(高さ 75Cm 幅 60Cm)、頭部を破損し、首折地蔵と呼ばれている。「春光」の名が刻まれる

   *JR吉備線「備中高松駅」下車、南方向へ 徒歩4分。

  真福寺 文英様石仏(岡山県岡山市三手419)

真福寺 文英様石仏(室町時代後期 〜安土桃山時代初期)

高さ 79Cm 幅 31Cm、「天文廿二年(1553)三月日、妙春」の刻銘 「天正三年(1575)霜月十五日、日峰妙光 禅定尼」の刻銘

門を入って左側の墓石群、向かって左端に四体がかたまって置かれている。素朴な線刻の作品

真 福 禅 寺

手前から二体目の地蔵石仏 一番手前の合掌像、二体目に寄掛けている

   *JR吉備線「備中高松駅」下車、西方向へ1Km。

 庚申山(こうしんやま)毘沙門天磨崖仏(岡山県岡山市新庄上)

庚申山毘沙門天磨崖仏(花崗岩)

庚申山(74.2m)は、積善寺という大寺があったが、天正十年(1582)高松城水攻めの時、毛利方の吉川元春がこの山を陣所としたため、

兵火により焼失したと伝える。元禄四年(1691)に本隆寺の住持 日正が新たに堂宇を建立し、庚申祭を行った。以来、日本三大庚申の一となった

 道勝寺跡(どうしょうじあと)宝篋印塔                       石仏と石塔-目次!

磨崖仏を刻んだ巨岩の裏側は、「南無妙法蓮華経」の題目が彫られている

 石  仏-紀年順-目次

*JR吉備線「足守駅」下車、南方向へ 約2.5Km。

(撮影:平成21年3月30日)