不退寺道(ふたいじみち)角塔婆

 不退寺(ふたいじ)(奈良県奈良市法蓮町517)

  仁明天皇の勅願により在原業平が建立した。「不退転法輪寺」と号し、略して「不退寺」と呼ぶ南都十五大寺の一であった古刹

不退寺道(ふたいじみち)角塔婆(室町時代中期、花崗岩、高さ 197Cm 幅・厚さ 30Cm)

南面、上から五輪塔修行門、宝生如来、光明真言の梵字を刻む 不退寺参道に立っていたが、現在本堂手前西側に移されている

角塔婆は、四面を上・中・下段に分け梵字を刻む。上段は五輪塔四門の梵字、中段は金剛界四仏の種子、下段は

光明真言(南)、金胎蘇悉地三部・三帰依咒・胎蔵界大日如来真言(西)、大随求陀羅尼(北)、十三仏(東)を配している。

西面上段、「ケン・カン・ラン・バン・アン」と中段の種子「キリーク」 東面中段、阿閦の種子「ウーン」と下段 蓮座上に「十三仏の種子」

十三仏の種子は最上段に虚空蔵の種子「タラーク」、向かって右列上から「阿弥陀(キリーク)」・「バイ(薬師)」・「アン(普賢)・「カーン(不動)」、中列上から

「ウーン(阿閦)」・「サ(観音」・「カ(地蔵)」・「バク(釈迦)」、左列上から「バン(大日)」・「サク(勢至)」・「ユ(弥勒)」・「マン(文珠)」が刻まれている。・・・・・・・

十三仏の信仰が大和で行われるのは室町時代中期頃であることや、蓮華座の形状などから、角塔婆の制作は室町時代中期頃と考えられている

平塚古墳より発掘された石棺(砂岩、長さ 2.7m)

宇和奈辺(うわなべ)古墳(5世紀中頃)の南側にあった平塚古墳(現在、国道24号線バイパス)の石棺という

不退寺(ふたいじ)多宝塔下重(重要文化財、鎌倉時代、桟瓦葺、方三間 一辺3.14m)

多宝塔は、桧皮葺の上重があったことが寛政年間刊行の大和名所絵図に描かれており、高さは四丈五尺(13.6m)と記されている

 不退寺墓地(ふたいじぼち)五輪塔                          石仏と石塔-目次!

不退寺本堂(重要文化財、室町時代)

桁行五間、梁間四間、寄棟造本瓦葺、軒は二軒繁垂木、組物は三つ斗の枠組、中備えに間斗束を配する

*近鉄奈良線「新大宮駅」下車、北方向へ 約1Km。奈良交通バス。近鉄 大和西大寺駅前から奈良交通バス JR奈良行きに乗車、「不退寺口バス停」下車 北方向へ 約300m。

(撮影:平成22年3月19日)