桜井寺(さくらいじ)墓地 石廟

 桜井寺(さくらいじ)(奈良県五條市須恵1-3-26)

  平安時代の天暦年間(947~957)に桜井康成により開かれた浄土宗の寺院で、天誅組の本陣があった。

桜井寺(さくらいじ)石廟 (江戸時代前期 明暦元年 1655年、砂岩、高さ 99Cm)

石廟は、寺院の西側にある墓地の東端に置かれている 軸部奥壁に、五輪塔を二基陽刻し、最下部に共通の反花座を刻む

奥壁の一石五輪塔は二基とも各輪に、漢字で「空・風・火・水・地」と刻み、地輪の中央に竪線を入れ二区に分ける。向かって右の五輪塔地輪は、二区とも

「為」の文字が、左の五輪塔地輪は二区とも「逆修」の文字が冠せられている。「為」は両親の追善、「逆修」は現在の夫婦自身のために刻まれた

石廟 屋根

屋根は、寄棟造で正面に軒唐破風をつくり、唐破風下中央には兎の毛通しのを刻む。軒裏には、細かく垂木を刻み出している

左側柱部分に「五条クツワや、宗田伝右衛門立之」の刻銘 右側柱部分に「明和元年(1655)乙未七月十一日」の紀年銘

切石の基壇を二段、その上の塔身下部中央は階段を設け、その左右に擬宝珠高欄を刻出する

天誅組の現地説明板
桜井寺境内入口にある天誅組本陣跡の碑 桜井寺 本堂

文久三年(1863)八月十七日、天誅組30人は挙兵し、五條代官所を襲い代官鈴木源内を殺害、「御政府」の看板を掲げ桜井寺を本陣とした。

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桜井寺(さくらいじ)

*JR和歌山線 五条駅下車、南西方向へ 徒歩8分。

(撮影:平成22年3月3日)