大迫寺跡(おおさこじあと)板碑群(有紀年銘)(Ⅱ)

 大迫寺跡 寛永六年銘 胎蔵界大日種子板碑 (宮崎県日南市大字吉野方内ノ迫)

  胎蔵界大日種字を刻む小型板碑で、江戸時代前期 寛永六年(1629)の紀年銘がある。

大迫寺跡(おおさこじあと)胎蔵界大日種子板碑 (県指定文化財、江戸時代前期 寛永六年 1629年、凝灰岩)

頭部山形、下に二条の切込み、身部上方は陰刻した月輪内に胎蔵界大日の種字「ア」、下方に「明善禅門」の名が刻まれている。

板碑、下部の刻銘

中央に「妙善禅定門」、左右に「寛永六(1629)・・、二月十四日敬白」の刻銘がある。

 大迫寺跡 寛永八年銘 胎蔵界大日種子板碑 (宮崎県日南市大字吉野方内ノ迫)

  頭部山形、身部は正面を研磨し、墨書きしている。江戸時代 寛永八年(1661)の銘が残っている。

  

大迫寺跡(おおさこじあと)胎蔵界大日種子板碑 (県指定文化財、江戸時代前期 寛永八年 1631年、凝灰岩)

身部 上方

胎蔵界大日如来の種子「ア」が墨書きされている。

 
身部、墨書き部分 墨書き:「寛永八年(1361)

 大迫寺跡 寛永十年銘 胎蔵界大日種子板碑 (宮崎県日南市大字吉野方内ノ迫)

  頭部山形、身部は分厚く、墓石形式。正面の下部には、寛永八年(1631)の逝去日と寛永十年(1633)の造立日が刻まれている。

大迫寺跡(おおさこじあと)胎蔵界大日種子板碑 (県指定文化財、江戸時代前期 寛永十年 1633年、凝灰岩)

身部 上方

頭部山形、二条線はなく、下を月輪を残して切込み、月輪内に胎蔵界大日如来の種子「ア」を薬研彫する。

 
身部の刻銘 刻銘:「同拾年(1633)、癸酉、八月彼岸」 刻銘:「寛永八、辛未、十二月十七日、逝、八十四

刻銘は、中央に「圓真坊  頓證佛果」、両側に「寛永八(1631)、辛未、十二月十七日、逝、八十四、河野太郎兵衛」、「同拾年(1633)、癸酉、八月彼岸、建立口 敬白」と刻まれている。

 大迫寺跡 寛永十九年銘 胎蔵界大日種子板碑 (宮崎県日南市大字吉野方内ノ迫)

  頭部を欠損する板碑で、江戸時代前期 寛永十九年(1642)の紀年銘がある。

大迫寺跡(おおさこじあと)胎蔵界大日種子板碑 (県指定文化財、江戸時代前期 寛永十九年 1642年、凝灰岩)

石塔群、永仁三年(1295)銘板碑がある窪地、手前側に立つ。上方に胎蔵界大日の種字「ア」、下方に「法印 口口翁」の名が刻まれている。

板碑、上部

胎蔵界大日如来の種字「ア」を刻む。

身部の刻銘 刻銘:寛永十九(1642)、壬午、歳」

 大迫寺跡(おおさこじあと)文保元年銘 五輪塔                               石仏と石塔-目次!

大迫寺跡(おおさこじあと)胎蔵界大日種子板碑 (県指定文化財、鎌倉時代後期~南北朝時代?、凝灰岩)

五点具足の胎蔵界大日種字「アーンク」を雄渾に刻んだ板碑で、下方の刻銘はなく墨書きがあったものと思われる。

頭部の二条の切込みや、額部の突出が永仁三年(1295)銘の板碑に似ている。鎌倉時代後期以降 南北朝迄位の造立と思われる。

 板碑(いたび)

*JR日南線 「飫肥駅」下車、西方向へ 徒歩 約40分。駅前にレンタサイクルがある。

(撮影:平成26年 5月29日)