大迫寺跡(おおさこじあと)板碑群(有紀年銘)(Ⅰ)

 大迫寺跡 文禄四年銘 胎蔵界大日種子板碑 (宮崎県日南市大字吉野方内ノ迫)

  上部を欠損した板碑で、安土桃山時代 文禄四年(1595)の紀年銘がある。

大迫寺跡(おおさこじあと)胎蔵界大日種子板碑 (県指定文化財、安土桃山時代 文禄四年 1595年、凝灰岩)

上部を欠損、主尊は胎蔵界大日種字「ア」、向って右から「権律師、文禄四口(1595)、拾月廿・・」の刻銘がある。

 大迫寺跡 慶長十一年銘 胎蔵界大日種子板碑 (宮崎県日南市大字吉野方内ノ迫)

  頭部山形、身部は分厚く、板碑から墓石への過渡期のものか?。安土桃山時代 慶長十一年(1609)の紀年銘がある。

大迫寺跡(おおさこじあと)胎蔵界大日種子板碑 (県指定文化財、安土桃山時代 慶長十一年 1606年、凝灰岩)

石塔群の下段に立つ。上方に五点具足の胎蔵界大日の種字「アーンク」、下方に「権大僧都 勢玄」の名が刻まれている。

身部 上方

切込みの中に月輪を陽刻し、その中に胎蔵界大日如来の種子「アーンク」を薬研彫する。

「アーンク」は、発心(命点)・修行・菩提(空点)・涅槃・方便究竟の五点を備えた形。

身部の刻銘 刻銘:「慶長十一年(1609)

刻銘は、中央に「法印権大僧都勢玄本坊」、両側に「慶長十一年(1609)」、「十二月八日」の紀年銘が刻まれている。

 大迫寺跡 元和二年銘 胎蔵界大日種子板碑 (宮崎県日南市大字吉野方内ノ迫)

  前記、慶長十一年銘の板碑(石塔)と同型で、江戸時代初期 元和二年(1616)の紀年銘がある。

大迫寺跡(おおさこじあと)胎蔵界大日種子板碑 (県指定文化財、江戸時代前期 元和二年 1616年、凝灰岩)-
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石塔群、下段左側に立つ。上方に胎蔵界大日の種字「ア」、下方に「権大僧都法印 勢安」の名が刻まれている。

板碑、上部

頭部山形、下の二条線はなく、主尊種字の部分を薄く切込む。種字の月輪は陽刻し、内に胎蔵界大日種字「ア」を薬研堀する。

身部の刻銘 刻銘:元和二年(1616)、丙辰

刻銘は、中央に「権大僧都 法印勢安 本坊」、両側に「元和二年(1616)」、「十月廿四日」の紀年銘が刻まれている。

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大迫寺跡(おおさこじあと)石塔群〈部分)

本板碑(石塔)二基は石塔群、下段中央小板碑を挟んで、基礎の上に祀られている。

 板碑(いたび)

*JR日南線 「飫肥駅」下車、西方向へ 徒歩 約40分。駅前にレンタサイクルがある。

(撮影:平成26年 5月29日)