妙円寺跡(みょうえんじあと)板碑群

 本勝寺(顕本法華宗)境内に立つ546基の板碑群で、南北朝時代 貞治二年(1363)銘を最古として室町時代のものが多数をしめる。

 妙円寺跡(みょうえんじあと)題目板碑(宮崎県宮崎市大字浮田字中間437-1)

  板碑は、七字題目の下に刻銘があるが風化・摩耗が激しく紀年銘は不明。

妙円寺跡(みょうえんじあと) 題目板碑(中央) (県指定文化財、凝灰岩)

室町時代の五輪塔に挟まれて立つ板碑で、本板碑群では大きい部類になる。

板碑、下方

刻銘があるが、摩耗が激しく不明。

 妙円寺跡(みょうえんじあと)応永三十五年銘板碑(断碑)(宮崎県宮崎市大字浮田字中間437-1)

  上部を欠失した板碑で、残った下方中央に室町時代前期 応永三十五年(1428)の紀年銘がある。

妙円寺跡(みょうえんじあと) 題目板碑(断碑) (県指定文化財、室町時代前期 応永三十五年 1428年、凝灰岩)

板碑、下部 下方に「日蓮(?)大聖人」の文字

下部の刻銘は「口口口口日蓮(?)大聖人」、「應永三十五季(1428)、八月廿二日・・・・」と刻まれている。

尚、応永年号は三十五年四月二十六日迄で、本碑紀年銘の八月二十二日は「正長元年(1428)」に改元されている。

刻銘:「應永三十五季(1428) 刻銘:「八月廿二日・・・」

 妙円寺跡(みょうえんじあと)嘉永年銘板碑(宮崎県宮崎市大字浮田字中間437-1)

  本勝寺(顕本法華宗)の境内前方に立つ板碑で、江戸時代後期 嘉永年間(1848~1854)の紀年銘がある。

妙円寺跡(みょうえんじあと) 板碑 (江戸時代後期 嘉永年間 1848~1854年、凝灰岩)

板碑、刻銘部

三宝荒神を祀ったものか

 妙円寺跡(みょうえんじあと)安政二年銘題目板碑(宮崎県宮崎市大字浮田字中間437-1)

妙円寺跡(みょうえんじあと) 題目板碑 (県指定文化財、江戸時代後期 安政二年 1855年、凝灰岩)

板碑、頭部

頭部山形、下に二条の切込み、山形部に「寶塔」の文字が刻まれている。

 
板碑、身部 刻銘:「安政二(1428)、卯、天八月二日」

身部は中央に「南無妙法蓮華経」の七字題目、その下に「一字一石」。向って右側に

「安政二(1428)、卯、天八月二日」紀年銘、左に「権大僧都墓」の刻銘がある。

板碑、側面

側面にも「南無妙法蓮華経」の七字題目が刻まれている。

 妙円寺跡(みょうえんじあと)題目板碑(宮崎県宮崎市大字浮田字中間437-1)

  境内の入口あたりに立つ板碑。近年に立てられたものか?。

妙円寺跡(みょうえんじあと) 板碑
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身部、(題目と偈)  一天四海 ➡ 皆歸妙法 

日蓮宗のお経 『おつとめ回向文』に出る偈(げ)

偈(げ):「一天四海(いってんしかい)、皆歸妙法(かいきみょうほう)

[ 一天四海は、皆妙法に帰す ]

 小村薬師堂(おむらやくしどう)五輪塔                                石仏と石塔-目次!

妙円寺跡(みょうえんじあと)石塔群〈部分)

 板碑(いたび)

*JR日豊本線 「宮崎駅前から、宮崎交通バス「鬼子母神前バス停」下車、細い道を南西方向へ徒歩 約4分。

(撮影:平成26年5月29日)